2014年8月4日月曜日

弟が気づかせてくれたこと50

 弟はたくさんのことを教えてくれる。

 けれど、どうしていいのかわからない。
 何もできずにただ過ぎていく時間のなかで、もがいているだけの私。

 生きてる時に。
 生きてる時に。

 できることがたくさんあったのに。
 話すことがたくさんあったのに。

 うっとうしがられたって、関わればよかったんだ。

 なにを怖がっていたのだろう。

 なんで避けてきたのだろう。

 なんでこんなことになったのだろう。

 鎧をまとっていたような人生だった。
 そうさせたのは、家族だ。

 家族の話や、兄弟の話はつらい。

 息子たちに叔父さんがいなくなってしまった。
 なんて大きな損失だろうか。

2014年5月20日火曜日

弟への想い49

 父の弟への想いに胸が詰まった。

 亡くなってから毎日煙草を燻らせ、酒を酌み交わす。
 弟の写真に向かい話しかけていると。

 生前出来なかったことが多い私たち家族の関わり。
 亡くなってからが本来の姿だったら、どんなにいいか。

 胸が詰まり泣きそうになった。

 まだしばらくは弟の姿を想い、生きている如くの生活が続くだろう。
 どうしていいかわからない。
 どう言葉を掛けたらいいのか、どう対峙したらいいのか。

 「明日は来る?」と言われ、連日の実家通いに精神的な辛さを感じていた私は「明日は分からない」と言った。
 父は母に「明日は分からないって。」と伝える。
 自分のなすべきことに詰まっていく。

2014年5月19日月曜日

弟への想い48

 悔しさに気持ちがとらわれてしまっている。

 真面目に仕事をして、週末は一人で出かけていた弟。

 遮光カーテンの中の生活は日常だったのだろうか。
 仕事から帰宅し、父母のいる母屋へ入浴し、夕飯を食べに行く毎日。
 そのあとは部屋に戻り、自分の世界にいた。

 何を考えていたのだろうか。

 こんな人生は望んでいなかったと言われるのが怖かった。
 私(姉)のせいで、自由にできなかったと言われるのが怖かった。
 

 私が結婚してすぐに、義理両親と住む婚家へ来た弟。
 「いつでもおいで」というと「ほんとに来ちゃうよ」なんて言った。
 けれど、婚家の親は不審な顔をしていて、私は縮こまっていた。
 それから弟が来ることはなかった。
 なんて姉なんだろうか。
 自分の身を守るために弟を切ったのだ。

 それからなのか、私は義理父母が嫌いだ。

 弟の居場所を作る機会を自らの手で切ってしまった。
 神経の細かい弟は私の心に気づいただろう。
 そして、傷ついただろう。

 私は本当に弟を傷つけてばかりだった。

2014年5月16日金曜日

弟への想い47

 伊集院静さんの『許す力』

 家族を亡くしてはじめてわかる気持ちに泣くしかない。
 まだ泣くしかない。

 時間はまだ足りないし、弟に恥ずかしくない生き方をしなければとまだ思えない。

 過去は昨日。昨日までの出来事は昨日のことのようにこころが動く。
 

 やっぱりいきていたらなぁという気持ちが強い。

2014年5月9日金曜日

弟への想い46

 まだ話すことがたくさんあったね。
 話せなかったね。


 ごめんね。

2014年5月6日火曜日

弟への想い45

 まだまだ整理できず、弟のことばかり考える。
 弟が電話をかけてきた時間は履歴が残っている。
 胸の痛みに苦しんでいた時間を切なく思う。

 心肺停止の宣告を受けた時、心マッサージを続けてほしい気持ちより、なぜかお疲れ様という気持ちがあった。
 私は弟に対して引け目が常にあり、苦労を掛けていると思っているがそれはおごった考えであると少し気づいてきた。
 そう考えると、心マッサージを止めた私は弟を救わなかった責任者になる。


 最後の時を両親と弟と濃密な時間を過ごしてよかったなんて思ったりもした。
 母や父に素直に願い事が伝えられてよかったなんて。話が出来てよかったなんて。

 なんて勝手な思い込みなんだろう。
 自分の中で完結しようとする考え方はなんと残酷なことなのかが解っていない。

 今はすでに骨になってお墓にいる弟にどう謝ればいいのか。
 謝ることもできず泣くばかりだ。

 帰ってきてほしい。

2014年4月26日土曜日

弟の死44

 昨日今日と実家に行かなかった。

 親の依存に疲れ始めた。
 3か月でギブアップ。

 元々実家に通う方ではなかったし、母の言動に反感を持っていた。
 弟の遺志を想像しながら、無理なことをしている。
 この実家通いが当然のことになるのは私の性格上無理だ。

 唯一の娘である私は家族への情に欠ける。
 申し訳ないが事実だ。

 そういう自分が嫌で、旦那と結婚した事実がある。
 私は無理だから、そういう人と結婚すれば自分も変われると思ったが、無理だった。

 内緒話が筒抜けになる声の大きさの母が大嫌いだった。
 嫌な思いをたくさんした。
 それが解ってもらえない母が嫌いだった。

 今は弟が亡くなり、人として優しくしなければならないと思っている。
 だから自分らしくないが、実家通いという行動をしている。
 それだけだ。
 弟は母に素直になれなかったが、優しかった。
 母を好きだったと思う。
 私は自分の気持ちが解らない。
 母になつけなかった。

 自分が一番の母が嫌だったが、今は私自身が自分が一番になっている。
 息子たちに申し訳ない。
 大好きで大事なのに、やっぱり自分が一番になる。

 避けても避けても血は追ってくる。


 ごめんね、和也。
 ねえちゃんはあんたの期待に応えられない。

2014年4月24日木曜日

弟の死43

 3か月が過ぎても、受け入れられないまま。
 ここ何日かで墓参りを繰り返した。

 何の慰めにもならないが、墓には弟の骨がある。
 姿は違えど実体がある。

 これこそ私の求めるものなんだ。
 実体が懐かしい。
 残像はだんだん不明瞭になっていく気がする。
 それが悲しい。

 弟の姿を見たいと思う。
 願いは叶うことはない。

 面影はあやふやだ。
 いつでも見ることができると思っていたからじっくりになんて見たことがなかった。

 弟からしたら、何の期待もない姉だったのだとわかってはいる。
 だけど、姉として何もできなかった情けなさはどうしたらいいのか教えてほしい。
 助けられなかった。
 助けられたかもしれないなんておこがましいが、何かを弟にとっての何かを救ってやりたかった。

 弟にとって最後の砦になりたかった。
 そうなれる日々が近いと思っていた。それなのに。
 やるべき今を見逃してきたのか。
 見ていたのに見えない振りをしていたのではないか。
 それを否定できない自分が怖ろしい。
 

2014年4月12日土曜日

弟の死42

 本を読めるようになってきた。

 桐野夏生さんの『だから荒野』
 荒野を選んで生きてきた老人の言葉に、弟を重ねた。
 弟が選んで生きてきたんだと思うことができた。
 私にとっては荒野そのものの弟の一生。
 私や親が干渉することを拒んできた弟の生き方だった。
 それを今さらこうするべきだったというのはお門違いかもしれない。
 それでも後悔は消えないけれど、少しの慰めをもらった。

 柳田邦男さんの『悲しみは真の人生の始まり』な中には、真の癒しについて実体験に基づいた言葉が書かれていた。
 思わず涙が出た。

 逃げようとしていた浅はかな自分に気づいた。

 私は桐野さん曰く、「痛い目に遭ったことのない怖いもの知らず。」

 この姉の姿は弟にどう映っていたのかが怖かっただけなのだ。
 だから、弟がどうだったのかが気になるのだ。
 自分の本性は自分勝手なままだったことを思い知った。

2014年4月5日土曜日

弟の死41

 昼過ぎに母から電話が来た。
 私の長男は今日こちらにくるのかと。
 切羽詰まった感じがし、息子に聞くとバイト帰りの息子は今から友人と映画に行くとのこと。
 実家に行く約束をしていたらしいが、以前からの友人との約束を忘れていたらしい。

 仕方なく急きょ私が実家に行くことにした。

 母は「急に寂しくなって、泣きながらいた」
 と話す。
 何も言えない。
 その切実感は電話でも感じた。
 娘である私は行動するしかない。
 
 実際に親は息子を亡くし、混乱から抜け出せない。
 私も混乱の中にいる。
 でも、子供を亡くした母や父に「私がいる」ともいえない。
 違うのだと思う。

 息子は未来を託せる存在で、娘は期待通りにはいかなかった。
 私は期待に応えられない。


 なぜなら、両親が信じるものが信じきれないから。
 

2014年3月29日土曜日

弟の死40

 まだまだ一人でなく時間は続きそうだ。

 弟の部屋の弟の布団を片付けたことも後悔し始めた。
 こんなことの繰り返しだ。

 ダニがわくなどと自分で言い始めて畳んだ。
 実際ダニはわくだろう。
 しかしそれがなんだというのだ。

 今さらながら自分の浅はかさを思う。

 弟の寝ていた布団に寝転んでもよかったんじゃないか。
 篠原涼子が演じた刑事みたいに。
 亡くなった場所ではないけれど。

 弟の残影が感じられたかもしれない。

 なんだか病的になってきているかも、私。

 私が見ていた弟は、私が勝手に作っている弟の姿なのだろうが、間違っているとは思わない。

 弟からすれば、弟の一部にすぎないのだろう。

2014年3月28日金曜日

弟の死39

 昨日実家で物置の整理物を確認していたら、小中学校時代の私の文集やらと弟の作文とテストが出てきた。

 私の文章の中には弟がよく登場していた。
 けんかの情景や一緒に行動していた様子。

 ひょうきんな弟の姿が描かれていた。
 少し私の次男の感じに似ている。

 しゃべり方を思う出そうとするがなかなか思い出せずにいる。
 それでも、私の長男の感じに似ているように思えたり。

 自分のいいように記憶を書き換えているのだろうか。


 弟のやってあげられることはいっぱいあったのにできなかった。

 息子たちにもやってやれることがいっぱいあるのだと、気づかされている。
 それが行動に移せるかどうかは疑問だが。

 私のもやもや感は自分の情けない怠け根性にある。

 息子にも弟への後ろめたさと同じものを、感じている。

 動かない私。

 自分第一の私。

 反省だけならサルでもできるのに。

2014年3月27日木曜日

弟の死38花のベッドでひるねして

 言葉が癒してくれた。

 登場人物の章夫おじさんに重なった。
 
 「おじさんにもそんな時間があった。」こころをゆさぶられた。
 私が思う弟の姿は、私が持っている弟の断片でしかない。
 弟を思いながら、一緒に行動する。


 もう少し時間がかかってもいいのだ。

 私と弟の小中学校時代のテストや作文が出てきた。
 タイミングがぴったとしている。
 間違わないようにじっくりと進みたい。

 
 私と弟はけんかもしていた。
 まったく覚えがない情景を、作文はみせてくれた。
 焼いてしまうけれど、私の中に弟のさもない時間があったと思わせてくれた。
 大事な、大切なさもない時間。

 幸せな、幸せだった、さもない時間。

2014年3月26日水曜日

弟の死37

 弟から譲られた車の中のたばこの匂いも気にならないくらいに消えた。
 昨日、息子を乗せているときに不意に感じ、おもわず口にしたが、息子は私の気持ちを理解したのか、黙っていた。

 忘れていってしまうのか。
 自分自身にも震える。

 かわいかった幼い日の弟と大人になった弟の姿。
 写真でしか確認できない。
 さみしいと思う。

 死亡宣告をされて自宅に帰ってきてから、葬儀場に移るまでの時間。
 何していたのだろう。
 見つめた時間は、頬を擦った時間はみじか過ぎた。
 感触は戻らない。

 もっとこの世の姿を残しておきたかった。

 土気色になっていく弟の顔を写真に残すことはできなかった。
 悲しむ時間が少なすぎた。

 悲しむ心が深すぎて、どうしたらいいかわからなかった。
 通夜・葬儀は事務に気持ちが向いてしまっていたのかもしれない。
 親の代わりに動かなければならなかったのは確かだ。

 ひとり悲しみに暮れる瞬間は今じわじわと訪れている。
 自分がこの先正常な精神でいられるのか。
 前を向くことができるのか。

 遺志継げる自信がないのが本音。

2014年3月20日木曜日

弟の死36

 かわいそうなことをした。悪いことをした。

 この言葉に尽きる。


 次男が中2の修了式だった。
 そういえば、私が実家を離れ高校からの寮生活に入ったのは弟が中2のときだった。

 あの頃は弟のことを考えていなかった。
 勝手に実家を離れ、さみしい気持ちはあったが自由だった。

 それは、引き換えに、弟の苦難を与えた。
 祖父の後妻と母の確執の中で、弟はさみしさと孤独の中にいたのだろう。
 居なくなって気づく情けない姉。
 全てが弟の犠牲の上に成り立っていた。

 どんなに辛かっただろうか。
 どんなにあやまっても取り返しはできない。

 弟の後ろ姿しか写っていない携帯写真に「会いたい」と願う。

2014年3月19日水曜日

弟の死35

 月命日。
 もう2か月たった。

 実家に行こうという気持ちはあるが、なんとなく疲れてしまっている自分がいる。
 今日は息子が行ってくれた。
 私の代わりと言っておくように話す。

 弟が亡くなり実家の継手がいなくなった。
 私に家を継げと言うが、一応長男で同居中。
 
 それ以外にも問題はあるが、素直に受けられない。

 親子して介護や老後の不安を抱えたままの状況は暫く続くだろう。
 私は「任せておきなよ」などと言えない。


 弟が望んだようにするのが当然なのか。
 私のジレンマは鬱積していきそうだ。
 昔の日記が出てきて、読んだ。
 親への不満がいっぱい書いてあった。

 今の両親には私の胸のうちなどなんの意味もない。
 逆縁に悲しむ親。ただそれだけ。
 私に期待する方向には行けない。まだ。

 弟が生きていたら楽だったのに、と。
 思う私はやっぱり弟の犠牲の上で胡坐をかいていたんだ。
 そう思う。
 弟は何の期待もしていなかったのだろうか。
 それでも期待して、そのたびに私が裏切ってきたんだと思う。
 弟の後ろ姿が浮かぶ。
 声を掛けたい気持ちを伝えられないまま、伝えられなくなってしまった。

2014年3月13日木曜日

弟の死34

 50日祭が終わった。
 まだ気持ちの整理がつかず、人の言葉も素直にうなずけない。
 区切りは必要だというが、そんなもの何の慰めにもならない。

 桜を見ても、和也は今年は見ることができない事実しかわたしにはない。
 世界遺産での桜も、もう見ることができない。
 携帯に残された写真の中に場所や時期が分かるものもあり、修理中の姫路城や満開の桜は今年観ることができたであろう希望がなくなった。


 一番正直に感情がぶつけられるべき相手だった姉としての私は、避けてきた事実にどう向かっていったらいいのか。
 情けない。
 
 いくつになっても可愛かった弟がもういない。
 姉弟ってよかったなと、いなくなって思うなんて。
 悲しい。

2014年3月3日月曜日

掛け替えのない弟の死33

 柳田邦男さんの『犠牲・サクリファイス』
 何か救いがあるかもしれないと読み始めた。

 11日間そばに居られた間が私にはなく、死亡宣告前の対面時間の短さが思い起こされた。
 こんなものなのだろうか。
 看護師である自分の浅はかな思い込みで、蘇生できたかもしれない弟を見殺しにしたのではないかと、恐ろしさで頭がいっぱいになる。絶対に助けたい気持ちがあったのかと。
 心電図がまっすぐだったのは私の見間違いだったのではないか。
 亡くなる前に何もしてあげなかった。
 あんな機械だらけの救急室で死亡宣告なんて。
 死後の処置を一緒にできなかった。希望すればできたかもしれないのに。
 後悔やすまなさでいっぱいだ。

 死んでしまったのに何を説明されても仕方がないと、質問もしなかった傲慢な自分は
 親の初動や説明ができない事に対して不満を抱いていた。
 なんて身勝手な人間だろう。
 弟の対して言い逃れができないことをしていた。


 もういない弟に許してもらうこともできない。
 一生考え続ける。

掛け替えのない弟の死32

 心の中に何かが溜まっていく。

 心臓マッサージを続ければ心臓が動いたかもしれない。
 医者の言葉に対し、諦めが早かったのかもしれない。
 私が可能性をつぶしたのかもしれない。
 どんどんその思いが大きくなる。


 気持ちが後ろ向きで涙があふれてどうしようもない。

 今週の日曜日には49日を迎え、お墓にお骨を収める。
 祭壇がなくなる。
 居間にお供え物や花が飾られなくなる。

 
 あの日のままの弟の部屋は、弟の残り香をいつまで感じさせてくれるのだろうか。

 私はこうしてここに心の中の澱を綴る事で、弟に赦しを請えるのだろうか。

  何のための死だったのか納得できないのは、後悔している自分が受け入れられないだけなのか
、弟への依存から抜け出せないのか。
 大人になれない自分、勇気のない自分、何もしようとしない自分、情けない自分、どうしようもない自分が認められない私はいつまでも堂々巡りをしているしかない。
 

 心停止後の蘇生率を調べて何になるのだろう、生きていた可能性を今さら考えて何になるだろう、それでも考えずにいられない。

 地面を這いずっているようなこの時間は自分を許す理由をみつけているだけの自分勝手な時間でしかない。それでも、そうしないと許せない自分自身がいる。
 なんて傲慢なのだろうか。

2014年3月2日日曜日

掛け替えのない弟の死31

 幸せの実感ってなんだろう。

 今私にとってどの時間が幸せなのか。
 息子の笑顔?
 

 自分の行動基準が分からなかったり、何やっていたのか思い出せなかったり。
 靄の中にいるみたい。

 知人が日帰り入浴に誘ってくれたが、きっと取り留めのない思い出話や後悔話になってしまうと思い断った。

 甘えてもいいかとも思ったが、真に語れる相手はなかなか居ない。

 堂々巡りで終わってしまいそうな今の私の話には何の効果もなく、付き合ってくれた人を疲弊させてしまうだけだろう。

 自分で解決しなければならない問題だと思っている。
 けれど、解決方法が見つかっていないまま今日になっている。

 何の行動もとれずのまま。

 神様のやることに意味を見いだせないままだ。
 私の立場弟の立場で意味を見いだせない限り今の場所にいるだけになりそうだ。
 なんて依怙地な私だろうか。

2014年2月28日金曜日

掛け替えのない弟の死30

 グリーフケアについて調べた。
 今の気持ちの整理がつかず、こうして文章にしても一向に前に進めない。

 他人の力を借りてでも、抜け出せないかと思ってしまう。

 昨日母が「節から芽が出ると言われた、いい方向に向かうと。」と、私に言った。
 私は、そんな節なんて要らなかったと思う。
 弟がいなくならなかった方がいいに決まっている。
 弟がいなくなる必要がなぜあったのかと思う。

 もう一度会いたいと思う。
 笑いあいたかった。

2014年2月27日木曜日

掛け替えのない弟の死29

 弟の部屋に入った。
 洗濯物を見つけた。
 母が「他のことで自分で、やればいいと言ったのを洗濯物だと思ったみたいで、それから自分でやっていた、ごめんね和也」と泣く。
 「最後の洗濯物になっちゃった」と泣く。
 胸が詰まる。


 今日は父が好きな写真と言って、引き伸ばしを依頼された写真を届けた。
 目が笑っているいい写真だった。

 だいぶ前の写真だが、今の様子と変わらないと思った。
 けれど、近くで見たのはいつが最後だったのかと思う。

 隣に居ても、じっと見ることはできなかった。
 けれど、声を聴き存在を感じ、この時が幸せだと思えた時間だった。

 もう戻らない。

 

掛け替えのない弟の死28

 弟に貰ったぐいのみ。
 忘れていた。

 弟の部屋にあるいくつかのぐいのみを見て、借りてきた。
 夫にその話をしたら「貰ったものがあるだろう」と言われ、思い出した。
 
 弟は時に突然いいものをくれた。
 お返しはしていなかった。なんて姉だろう。

 亡くなってから後悔したってどうにもならない。
 これから。なんて考えていたのは私の勝手。
 私の勝手が多すぎる、いや、そればかりの姉だ。
 頼ってばかりだった。
 

 今朝、弟と一緒に行動したのはいつだったかと考えた。
 何年か前のおばさんのお葬式だった。
 二人で富士吉田に行った。
 弟の運転で、帰りに花を見に行った。
 「まだ咲いていないけれど、これから咲くな」とボッソッと言った。
 弟は私に紹介してくれたのかと思った。

 ワイワイ話せなかった。
 冗談も言えなかった。
 情けない姉だった。

 かなしい。

2014年2月25日火曜日

掛け替えのない弟の死27

 今日は実家に行かなかった。
 2日行かないのは初めてかもしれない。

 一昨日、私が持っていた弟の部屋の鍵を渡した。
 部屋に入ろうとしない親の代わりに部屋の空気の入れ替えをしながら、部屋に入り弟の生前の姿を思う時間だった。

 その役目を返し、実家に通う口実もなくなった事を感じた。
 
 弟の遺品を親が勝手に処分しないかと不安もあったのは確かだ。
 しかし、所詮は弟のものは親のものだということに気づき、私がどうのこうのと言う権利もないと思う。
 私なりの悲しみはあるが、自分より先に逝ってしまった息子への思いに敵うわけはない。
 

 私はどう自分の懺悔に向き合うべきか解らなくなっている。
 後悔が深すぎて、どうにもならない。

2014年2月24日月曜日

掛け替えのない弟の死26

 やりきれなさが消えない。

 今朝、涙が溢れて止まらなかった。
 なぜか分からない。

 弟の話が出来ていない。
 自分の頭の中で考えているだけだ。

 こうなのか、ああなのか、どうなのか?と自分だけで考えている。

 誰の意見もない、私の私見だけだ。
 だから前に進めないのだろうか?

 涙は流した。
 でも声は押し殺したままだ。

 関わりの薄かった姉が何を言うかといわれそうだ。

2014年2月22日土曜日

掛け替えのない弟の死25

 ツナグを観た。

 「傲慢で自分勝手な考え方かもしれない。だけど、それでも。
 死者が抱えた物語は生きて残されたもののためであってほしい。
 事実がどうであっても・・・。」

 「残された人間は、他人の死を背負う義務がある。」

 「失なわれた人間を自分のために生かすことになっても、日常は流れるのだから仕方がない。」
 「残された人間は我儘になるしかない。それがたとえ悲しくても、図太くても。」

 会いたい人は会ってくれるかわからない。
 

 私はこういう風に考えられるようになるために、考え続けなければならない。
 問い続けなければならない。向き合わなければならない。

 

2014年2月21日金曜日

掛け替えのない弟の死24

 弟の写真を拡大しラミネート。
 実家に持って行ったが、功を急いだと感じた。
 もう少し待って持って行ったほうがよかった。

 弟の名を呼び泣く母の姿は痛い。

 

 友人からのメール。
 「生まれ変わってくる弟に会えるよ」
 どこに生まれてくるだろう。

 弟の見た風景が見たい。
 

 SDカードに残された風景。
 コメントで場所が分かるものもある。

 弟の部屋に残されたアルパインスパッツは、
明後日予定していたピラタスに行く準備だったのだろう。
 行ったことのない所なので私がすぐに行けるところではない。

 みなみの桜はどうだろうか。

 
 

2014年2月19日水曜日

掛け替えのない弟の死23

 月命日。

 1か月が早いのか遅いのかわからない。
 相変わらず母との気持ちの共有はできない。

 実家での毎回の弟の部屋の空気入れ替えも、徐々に部屋のにおいが薄れてきた気がする。

 亡くなった当日に行ったと思われるシャガール展の切符や、部屋に置かれた新品の品物に改めて悔しい気持ちになる。

 ピラタスに行く予定で購入したであろう品物。
 無造作にめくられたままの布団。
 1月19日のページが開かれたままのTVガイド。
 触れられないまま。


 

2014年2月17日月曜日

掛け替えのない弟の死22

 母に頼まれ、弟の写真を拡大した。
 

 母親の悲しみがどんどん胸に迫る。
 大事でないはずがない。

 何もできずにいる母に対して、優しい言葉も掛けられない私は、すでに弟の想いに沿っていない。
 以前「今母親が死んだら、俺は泣く。」と言っていた弟。

 あれからどれ位距離を縮められたかわからないが。

 親子の会話が最後になった母にどう言葉をかけられるか。

 
 「親子の会話がない血筋だと嫁に来た時に言われた。」と開き直った言葉を吐く母に気持ちの抵抗があるのは確かだ。
 けれど、弟にとっても、心残りであろう親子の関わりの淡泊さは私の課題である。

2014年2月13日木曜日

掛け替えのない弟の死21

 21時25分
 毎日アラームが鳴り合掌する。
 弟が亡くなった時間だ。

 久しぶりに本を読み始めたが、アラームで現実に戻り、余計に辛く思えた。
 涙がでた。

 読書に没頭できない。
 現実が重くにしかかる。

 もっと不幸な死もあると慰めてくれる人もいるし、
 息子の死で精神を病んでしまった人もいると話す人もいる。
 

 けれど、私にとっては弟が急にいなくなってしまったという事実があるだけなんだ。

 2歳のころの写真を眺めては、このかわいい弟が私の前から居なくなったさみしい現実に胸がつぶれる感覚に陥る。

 自分の感情に溺れる。

2014年2月12日水曜日

掛け替えのない弟の死20

 あの時間に戻りたいと切実に思い、考える。

 道尾俊介さんの鏡の花を思い出した。
 読んだときはこんな事は思いもしなかった。
 けれど、現実と向き合う今、次元の中にもうひとつの世界があったら、弟と私はうまく関係を結べていたのかもしれない。
 今の次元の失敗を避けてまだ生きているのかもしれない。
 などと、真剣に想像してみたりする。


 想像してみてください。
 ビブリア古書堂の事件簿のセリフではないが、人の気持ちを想像するのは難しく、自分の思いがどうしても入ってしまう。
 思い入れは免れない。


 亡くなってしまった弟と行動を共にする話は、今の私の願いだ。
 

 今日は熱海桜を見に行こうと、昨日HPを見ていた。
 でも、私だけ行くのも。
 などと考えた。

 でも、弟と一緒なら行った。

 弟がやりたかった行動をとれるほどの器量もない私。
 どうすりゃいいんだ。

掛け替えのない弟の死19

 心が駄々をこねている。

 今の気持ちを表現すると、こうなる。

 大声で泣き叫ぶこともできず、すがりつくこともできなかった。


 だからなのか。
 気持ちの切り替えができないのは。


 亡くなってわかるでは辛すぎる。
 人間なんてそんなものなのか。


 悩み苦しむ心の声に返ってくるこだまはない。
 ただ沈黙だけだ。


 掻き毟るような。
 皮を剥ぐような。
 焼けるような。

 胸やけが体中を巡る。
 込み上げる後悔。

 どう気持ちを落ち着けていいのかが分からない。

2014年2月11日火曜日

掛け替えのない弟の死18

 昨日は涙を流す時間があった。

 そのあとの話を聞く中で、死を無駄にしないための行動を考えたといわれた。
 

 毎日弟を思う時間の中で過ごしている。
 過ごす時間の中に弟を探し、出来事を弟にに結び付けている。

 弟が死ななければならなかった理由を探す。
 自分に問題があるかとか、親にあるのかとか。
 弟にあるとは考えたくない。

 先案じは常にある。
 避けられない実情はある。

 自分が避けられるように考えてきた。
 しかし、年齢がそれを突きつけるようになった。
 弟が背負おうとしていた実情をわかっていながら、傍観してきた。
 すべてが私にかかてきた。

 弟が今まで背負ってきた。
 私には、自分勝手に生活してきた反動が返ってきただけ。

 それでも、流した涙で少し気持ちが楽になった。

 

 

2014年2月10日月曜日

掛け替えのない弟の死17

 今日は10日。
 先月は一緒にいた。
 会話はなし。

 それでも視界のなかに弟の姿を確認し、安心する時間だった。

 それが今はいない。

 朝起きて、やっぱり居ないのかとおもう。
 掛け替えのないという言葉の意味が胸を突く。

 

2014年2月9日日曜日

弟の死16

 弟の思い出の中で時間が進んでいる。

 今日は花を買った。

 母に頼まれた。
 今まで花屋に行くことなんてなかった。

 弟の部屋から、本を持ち出そうとしたが、やめた。
 自分勝手な私が頭を出してきた。
 弟のことを考えているふりなのか。
 自分が信じられない。

 弟の車に乗る日々。
 思い出しては涙を流す自分が、信じられない。
 気持ちが動かないのだ。

 どうしたらいいのかも解らないまま。
 どうするべきかなんてもっと解らない。


 なんで死ななければならなかったのか。
 わからない。

 私はどうしたらいいのか。
 わからない。
 

2014年2月8日土曜日

弟の死15

 前へ進めない。


 何も新しいものに興味をもてないし、見る気にならない。
 

 自分がどうしたらわからない。
 

 自分のできるであろう事柄以上のことをする覚悟もないから思い浮かばないのだろうか。

 弟がいたということが薄れていってしまうのが怖い。

 何も残さずに逝ってしまった。

 映画を撮りたいと言っていた。
 

 遺された花や景色の映像を見るたびに切ない気持ちが重なって、形にできなかった弟の無念を考える。
 しょうがないと思っただろうか。
 意識が薄れていく中で、何でと思っただろうか。
 俺死ぬのかと思っただろうか。

 両親の話を聞いていると、専門職の私からは考えられない程、安易に考えていた。

 私は処置室で見た弟の顔で、すでに帰ってこないであろう事実を確信してしまった。



 弟の車に乗る。
 戻ってこない事実が胸にせまる。

2014年2月5日水曜日

弟の死14

 弟へバレンタインチョコを渡したのはいつまでだったろう。
 最近は渡すことも忘れていた。
 薄情な姉だ。

 霊前にチョコを備えた。
 今さらと思う気持ちと、それでもという気持ち。
 自己満足に過ぎず、自分の気休めだけだ。

 離れから歩いてくる弟の姿や、足音がよみがえり切ない。
 涙を流したってかえって来ない。
 それがつらい。

 幼いころの写真を出した。
 かわいい笑顔の弟がいる。
 そうか、もう君はいないのか。

 とてつもなく悲しい。

2014年2月3日月曜日

弟の死13

 携帯の写真をUSBに移す。
 弟の姿は皆後ろ向きだ。

 旅行のスケジュールが記入された紙を見直そうと思う。

 94年からある。
 急いで生きすぎた。
 乗り物の時刻もきっちり書かれている。
 同じルートを回れるくらいだ。

 後姿の弟のスライドレビューに切なくなるばかり。

2014年2月2日日曜日

弟の死12

 昨日弟の車が私名義になった。
 いいのかどうか、未だに不安だ。

 それは両親に対しての私の気持ちだ。


 弟の部屋もあのまま。
 布団も弟がめくったあの日のまま。
 どうしていいかわからない。


 弟が私に託したものは、親に黙っていられず渡した。
 よかったのか。

 混乱の中での行動は判断違いがあったかもしれないと、今さら思う。
 相変わらずの私の行動。

 きっと弟は自分で考えろというだろうなーと考えたり。
 でも、頭の良さでは弟にかなわないコンプレックス。
 分かったふりをしていた私を弟は気づいていただろうな。

 馬鹿さ加減にがっかりする。

 車、大事にするよ。

弟の死11

 母親の体調が悪い。
 血圧が上がったままらしい。
 眠前に安定剤を飲んでも眠れないらしい。

 らしいというのは、聞こえてきたから。
 私が直接聞いたわけではない。

 優しい言葉がかけられない。
 いたわりの気持ちがあらわせない。

 責める言葉しか口にできない。


 息子を突然亡くした母の気持ちが分からないのではなく、この人の気持ちに寄り添えない。

 弟が以前に言っていたが、「母が今なくなったら俺は泣く」という言葉。
 私は母親と息子の関係を複雑な思いで受け取った。

 母親と娘の関係とは違う。

 今日は私の長男が実家に泊まりに行っている。
 長男は人の心の機微に疎いが、大丈夫だろうか。
 私は自分の代わりに長男を差し出しているのかもしれない。
 

 毎日していた弟の朝と夕ごはんの支度が要らなくなった。
 これが一番実感することだろう、弟がいないことを。

 時間は解決してくれるのだろうか・・・。

2014年1月31日金曜日

弟の死10

 とうとう弟が乗っていた車を私名義に変更する手続きをした。

 実家に置いてあった車の移動は親の気持ちを考えると躊躇したが、くるま屋の後押しがないと進まなかったかも。

 実家から車屋への道のりがつらかった。
 泣くにも泣けず。
 実家に取りに行く連絡をしてあったので、想像はしていたが、車を磨く父の姿に胸が詰まった。
 父は私のために手続きを進めることを承知したのだろうし、私は父の気持ちを思い、後ろ髪を引かれながら手続きを進めた。

 くるま屋は自分の立場で急いでくれたのだと思うし、そうしなければしばらくそのままだっただろう。

 そのほうがよかったのかもしれないが、くるま屋の話ではこの時期に手続きしないと今の持ち主に税金が掛かってくるらしい。

 まわりに助けられて進んでいくしかない。

 和也のタオルを持ち帰り、思い出しては見つめている。

2014年1月30日木曜日

弟の死9

 自分の中で整理がつかない。

 CPKを調べてみても、心筋梗塞を起こしているほどの高値ではない。
 けれど、原因を突き止めても、弟は戻ってこないというのが悔しくて切ない。

 お酒を飲みに行きたかった。
 話がしたかった。
 話を聞きたかった。
 力になりたかった。


 話しかけると、短い返事が返ってきた。
 ペラペラ話すタイプではなかったが。

 友人の話では、姉としての私の話も出てきたという。
 
 

 以前短期入院した時は頼ってくれた。
 嬉しくて有頂天になった。

 なにかあったら頼ってくれると思っていた。
 そんな機会も少なくて、不安になった。

 自分勝手な姉を認めてくれていたのだろうか。
 自信がない。


 発作の場面ですぐに心マッサージをしなかった親を責める気持ちになる。
 私がいてもとっさには無理だったろう。
 それでも、悔しさだけだ。

 病院にいって一晩過ごして帰ってくると思っていた親を責めることはできない。
 本当にあっけなく逝ってしまった。
 

弟の死8

 昨日買い物中に知り合いに声をかけられた。
 話しているうちに泣けてきた。
 

 やっぱりあきらめきれない。

 もう10日経つが。

 現実問題が徐々に出てきて来ている。
 跡継ぎとか、土地や家や。
 弟の遺産は両親だけで、問題はないが。
 この後は親戚が関係してくる。
 こういう状況になって、やっぱり弟には生きていてほしかった。
 私がフォロー役でいられた。
 そしたら頑張れた。

 いい人の両親は使われてばかり。
 しまいに脳こうそくの発作の時も、調子悪いと訴えたのにいい加減にあしらわれて手当てが遅くなって、後遺症が残った。
 私は忘れない。

 これからは私が矢面になることが出てくる。
 頑張らないと。

 

2014年1月29日水曜日

弟の死7

 昨日次男の希望で「永遠の0」を見た。
 弟のごみ箱にこの本のブックカバーが捨てられていた。
 本体は見つからないままだ。
 私も購入し、今は長男が読んでいるが、弟の本はどこに行ってしまったのだろうか。
 最近の購入だろうが。

 昨日も両親とけんかをした。
 もともと母親に対して嫌悪感を抱いているが、この状況でも自分を変えられない。
 母の一言は私の神経を逆なでする。

 頑なな父の言動にも閉口する。

 そして、考える度にこの両親を弟に丸投げしていた自分を感じる。
 弟は両親の面倒を見るつもりだったが、それをいいことに自分勝手に過ごす私にいい想いを抱くはずがない。
 邪見に扱う私をみて不満を感じていたであろう。
 

 弟が亡くなりすべてが私にかかってきた。
 50年の報い。

 

2014年1月27日月曜日

弟の死6

 今日も一日親の手続きで終わった。
 遺族年金は母に追加。
 すずめのなみだ。
 手続きの煩雑さに閉口する。

 次に市役所で書類を出したが、銀行はコピーが可と。
 知らずに余分に請求し、2千円の無駄。

 信用金庫や銀行の手続きもまだまだ続く。

 現実は気持ちが逆剝ける。
 

 こんなに早くに手続きをすべきだったのか?
 親に精神的苦痛を与えているのかもしれない気持ちを抱きずつも
止められない。

 合理主義者の性だ。

 携帯電話の引き落としが本日付でされていた。
 ショップに行き解約する。
 切ない。

弟の死5

 朝になると、実家の離れから朝ごはんに出てくる弟がもういないという事実を考える。
 そうかもう君はいないのかという本の題名が頭に浮かぶ。
 頻繁に浮かぶ。

 寒かった離れ。
 何の理解もしていなかった。
 弟の勝手だ、くらいの感覚しかなかった。
 父は弟の死後に「寒い部屋に住まわせた」と後悔していた。
 本当に苦労と苦痛しかかけていなかった。

 姉弟としての配慮は自分勝手な思い込み、都合のいいような解釈で終わってしまった。

 いつか力になれる機会が巡ってくるなんて悠長な時間の猶予はなかったんだ。
 悔しくて情けなくって、何を怖がっていたんだと自分に言いたい。

 拒否されるのを怖がる自分は人間関係すべてに面倒であろう事柄から逃げている。
 かわいい弟なのに、
 苦労や不安をわかってやれなかった。
 共有すべき不安や苦労はたくさんあったはず。

 弟は一人で考えていたのだろうか。
 一緒に考えていてくれた人がいたらよかった。

 結婚相手を紹介するという話に、「お願いします」と言ったと。
 意外なことだが、
 弟の気持ちの変化があったのだろう。
 前向きになってきたのに。

 考えるほどに無念だ。

2014年1月26日日曜日

弟の死4

 自分より不幸な人と比べて、弟の死を納得させる気分にはならない。
 悔しい出来事が自分の努力や配慮でどうにもならないことはわかっている。
 だけど、意味がある死なんて存在するのか。

 人柱なんて、いらない。

 悲しむ人、惜しむ人がいるから受け入れようなんて、出来るわけない。

 家族それぞれ色々あるんだ。

 人に理解されないであろう事情や、言い出しにくい事情や。

 意地と体裁はある程度社会生活をしていたら仕方なく表出してくる。

 それでも、
 姉として出来たであろうことから逃げてきた私への天誅。
 ひどすぎる。


 弟の未来は断ち切られ、親の未来も消えた。
 私の未来はいばらの道となり、
 あがくことさえできない。

 「出来るだけ家に来てやって。」皆がそういう。
 私のやるせない思いはどこで吐き出せばいいのだろうか。
 両親の悲しみや失望や溢れる思いをすべて受け入れられる程の器や余裕は私にはない。

 自分の涙はしょんない涙。
 親に比べたらそうなるのかもしれない。
 でも、後悔だけが先立つ思いに答えてくれる声がほしい。

 そう思うのはお門違いなんだろうか。

弟の死3

 後悔しかない。
 これからやっと弟の力になれると思っていた矢先だった。

 今まで、何の力にもなっていなかった。
 そのままで死んでしまうなんて、思わなかった。
 

 弟の携帯電話に入っていた友人にやっと連絡が取れたのは幸いだった。
 知らなかった弟の姿を聞くことができた。
 楽しい時間を過ごしていたことを知ることができた。

 写真もなく、遺影は免許証の写真。

 一番最近の写真自体がそれだった。

 このあと、テレビを見ていた母が「そういうひとは残っていていいね。和也のは何もない」と、やしきたかじんの追想番組を見ていて言った。
 切なかった。


 私は自分の接し方を悔やんでも悔やみきれないが。
 たとえば、バレンタインのチョコはなぜ渡さなかったのかとか。
 私の次男と一緒に野球をさせたかったとか。
 うるさがられるのが嫌で、声をかけなかった自分の浅はかさとか。
 ずっと、一緒に酒を飲みに行きたかったと思っていたのに提案しなかったのかとか。
 なぜ、嫁入り先に呼ぶのを遠慮したのかとか。

 和也に謝りたいことしか浮かんでこない。

弟の死2

病院から自宅までの車がなかなか来なかった。
午後9時25分死亡確認
帰りの車は11時過ぎていた。
霊安室で過ごした時間。
ずっと顔をさすった。
まだ温かかった。
でも、今、その感覚がわからない。戻ってこない。覚えおきたかったのに。

もう動かない弟。

まさか。

こんなにあっけないのだろうか。

さっきまで生きていたのに。

大河ドラマを見るたびに戻ってくるであろう記憶に、私はこの一年耐えられるだろうか。


弟が座っていた炬燵の位置に座る。ありえない。

弟の死

 先週の日曜日、大河ドラマを見始めたころ「和也が救急車で運ばれた」と父より電話。
 旦那に頼み、車を出す。
 実家には父だけ、すでに救急車は出ていた。
 病院に着いたが、「覚悟していてくれ」と救急隊員に言われたと母が言う。
 処置室では蘇生されているであろう弟。姿は見えない。

 呼び入れられた部屋の別途には、挿管され心マッサージされる弟。
 目は半開きだった。
 思わず手を握る。
 ベットから滑り落ちた弟の手を握り、さすり続けるしかない。
 

 CTとX-Pを撮り原因をみたいと医師。
 断ることもできないし、弟が戻るとも思えない。
 検査から戻っても、なおざりなアンビューバック押しに悲しみしかない。

 もう戻れないであろう意識。
 呼吸も心臓の動きも。


 手を握る。
 和也。


 これからなのに。
 家で一番必要だった。
 なぜなの。
 理由なんて見つからない。

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...