2011年12月14日水曜日

いい女は・・・。

茂木さんの本読み進めて、このくだりに少し反省。
 確かにこんの文章をインターネットにだすなど、自意識過剰だとも思うが、打ち込みの練習と、文章の構成のやりやすさでやっている。
 まあ訪れるものもいないので、自己満足で終わっているのもいい。
 『いい女はネットでアクティブにならない』と、「世間に全く知られていない人で、どんなに素晴らしい人がたくさんいることか」と発言した晩年の小林秀雄の言葉は、身の丈の人生を歩む上では指標になるかもしれない。

息子へ

価値観は日々変わっていく。
 美しさも基準が変わっていく。
 自分という逃げることのできないモノに負けないで欲しい。
 今の自分がずっと続く『自分』ではなく、世の中の移りゆく価値観の中で、主体的に変われる『自分』なのだと気づいて欲しい。

僕たちは美しく生きていけるだろうか

茂木さんの本
 読み始めたばかりだが、最初のくだりを息子に読ませた。
 クラスの女子に「ウザイ」「きもい」と言われると愚痴る。容姿にコンプレックスを抱く我が子に読ませるとは、キツイ親だ・・・。容赦ない親だ。
 それでも、気づいてほしい。分かってくれる人はいると。
 私が「そういう子は自分が可愛いと分かっているから上から見ているんだよ」「反撃しないからいい気になっているんだから、反撃すればいい」と言うと、「できない」そういうことは言いたくないと。
 そんな気のいい我が息子に暴言を吐く女子高生に敵意丸出しの母親だが、息子自身にもマナーや振る舞いのダメ出しをし、アドバイスを日々考えている。
 本を読んで、いい言葉があれば伝え、読ませ、解説する。
 多くの考え方、見方を学んで欲しいから。
 親子で同時に読み始めた。

2011年10月25日火曜日

日本人は何を捨ててきたのか 思想家鶴見俊輔の肉声

 鶴見さんと関川夏央さんの対談集。
 第1章は表題。1997年3月NHK放送に加筆。第2章は日本の廃退を止めるもの。2002年12月京都での対談。
 1853年を基準として、近代日本が見失ったもの、戦後体験と転向研究。
 1922年生まれの鶴見さんの生い立ちから、政治家を身内に持つ立ち位置、親子関係の多大な影響、出版物から読み解く時代と個人など、私の頭では到底理解しきれない内容。
 歴史上の人物に関しての細部に至る知識にまず脱帽状態。
 大河ドラマや関連書物やドキュメンタリー番組からの知識しかない私には「そうなんだ」「そうだったんだ」の感嘆の思いしかない。
 人間の理想に≪協和的に≫という言葉を挙げた鶴見さん。すべての日常で心して念じ続ける言葉となった。
 明治国家に作られた日本という[樽]の中で育った名刺交換の好きな人たちと、個人として能力を発揮する人々との差についても「そうなんだ」と思える解説がある。
 オウム事件の初期の犠牲者である 河野義行さんへは≪語り口は思想なんです≫と絶大な評価をしている。
 人間としての強さが個人なのだろうか。
 [1番病]・・・の弊害と題し、人間が途中ですり減る。と1番病に囲まれて育った鶴見さんはいう。
 本当の知識人は東大にはいないとまで言っている。
 この件、同時に読んでいる『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』のなかで、村上春樹さんも同じようなことを書いていた。
 若くして逝ったアメリカの作家の映画化への資金提供の協力に対する大規模小売り店舗を展開する企業の対応に「こんな身のない連中が文化と偉そうな顔をしていたのか。」と。
 誰かの、個人としての器量が発揮される機会を待っている大衆の存在でしかない私ですが、日本のあっぱれなな個人を少しずつ本という媒介に頼りながら、触れていきたいと思いました。

2011年7月27日水曜日

すぐそこのたからもの~よしもとばななさん

 愛息との日々の記録。
 いつもの景色の中で生まれてくる言葉の不思議や感動がつづられている。
 8歳になるまでの蜜月の日々を、大切な風景を思い描くことができる文章だ。
 こどもの口から生まれる摩訶不思議な言葉の中に、真実を見つけることの大切さが感じられ、相手に対する想像力は人間だけでなく動物に対しても必要なのだなーと思ったりした。
 私の大切な息子たちの小さかった姿を思い起こしながら、今を反省する。
 いつだって、いつになったって、育児のやり直しはできる!!
 今から!時差で届くであろう母の愛の言葉をやさしく・やさしく語りかけよう・・・。
 大人になって、思い出してくれることを願って。

 

2011年6月30日木曜日

日本復興計画

 大前研一さんの本
 売り上げ12%が震災復興に寄付される。
 1年後・5年後・10年後の日本、長いスパンで考えねばならないという現実に私はまず戸惑う。
 原子力工学の博士号をもち、震災発生後の13日にユーチューブにアップされた放送は70万回以上の再生をカウントする。東電のごまかしや政府の無知など、あきれるばかりの醜態を見ていると、ただただ不安だけが増す。
 先日のNHKの番組のハーバードからの提言(だったか・・・)でも、「どんな状況でも、事実を隠さずに公表する大切さは、わけのわからない不安を増幅しないためにも大切なことだ」というような発言を講師の1人が言っていた。
 大前さんは持ち前の分析力で、今後の日本・政府・東電・日本人1人1人の行動模範を作ってくれようとしている。
 現場感覚の大切さや、政府要人の認識の甘さの指摘はなるほど!と思う。
 提言の中には、都知事選で敗れたときのマニフェスト内容も含まれ、当選していたらなあーと思わずにいられない。
 1度の選挙での落選で、政治に見切りを付けて、次に視線を変える見切りのよさに感服するが、「IF(もし・・・)]はないとは言っても、都知事になった大前さんの手腕をみたかった。
 

2011年5月30日月曜日

生きるとは、自分の物語をつくること

 河合隼雄さんと小川洋子さんの対談集。
 東日本大震災以来、被災地の子供達の姿を映像で見るたびに、河合さんが生きていたらなあーと思う。
 大きな指針を授けてくれたのではないかと思うから。
 そんな思いの中で、この本を読んだ。
 実際には、2007.7.19河合さんの急遽で対談は途中で終わってしまっている。
 
 高校の数学教師であった河合さんが『博士の愛した数式』の映画を観て関心を持ち、対談の機会が出来たと小川さんが書いている。
 主人公の少年の《ルート》という名前の意味を読者である河合さんから指摘され、「そうかもしれない」と感じる作者である小川さん。
 作者が行き当たりばったりに選んだ《ルート》という名前に、〈根と道という意味合いを兼ね、博士と1つの根を共有するように友情を結び、大人達の閉ざされた境界に道を開く役割を果たす〉
 そこには、物語の持つ力があると2人は確信している。
 作者が紡ぐ〈どこかの誰かの物語〉の中に読者が意味を見つけ、身体と精神・外界と内界・意識と無意識を結びつけることで今を生きていけるのではないか。
 《物語はそこにある》

 河合さんは「子供というものはすごいんだ」といつも言っていた。
 そんな河合さんだから、大震災で傷ついた魂に寄り添い、子供達に語りかけて欲しかった。
 

2011年4月10日日曜日

もうすぐ退院してくる・・・

 今週には義母の退院となり、未だに生活様式のみえない事態に困惑したまま。 旦那は簡単に「腰が伸ばせないだけだ。」というが、今まで洗濯や台所仕事や、掃除や買い物をやってきた人にどう援助するのか!って話。 私が私のやり方でやって相手がどう出るか? 私の不安はそこにあるのかもしれないとふと気づいた。 常に監視されているような状況で(家の作りと義母が過ごしそうな居間の配置)、私のストレスはどうなるのか? トイレや風呂に入るのにどう工夫や注意をするのか? 昼間私が仕事に行っている間はどうするのか? ほとんど家の中にいる義母の気分転換はどうするのか? 考え出したら切りがないが、これを先案じというには軽率だ。 2ヶ月程の入院中に家の片付けに勤しんだのは最初だけ。 まったくと言っていいほど手付かずの状態を義母の許しを得ながら片付けなければいけないであろう今後イライラがただ募るだけだ。 ああ・・・帰ってくる。 

2011年4月7日木曜日

自宅介護への道?

 足の痛みから始まった義母の騒動から、MRIによって骨の異常と診断され、即時入院からはや50日程が経った。 来週退院決定。 先週月曜日に主治医からの話があると連絡を受け、。てっきり手術な話かと思っていたら、なんと退院の話だった。 正直がっかりした。 帰ってくるんだ・・・。 いつかは帰ってくるし、今まで通りにはいかないと思っていても、やはり面倒なことだ。 今まで台所も、義母が主だったから、汚くても使いにくくても、じっと我慢してきた。 でも、これからは私が主立ってやらなければならない。それなのに、旦那はリフォームの話も進めない。 あの時と同じようなにおいがする。 このまま汚くて遣いにくい台所で、義母の食器を使って、晩年を過ごすのか!! やなこった。 今日はレンジの置き場所を磨いたが、無論汚れなど落ちはしない。 考えてみれば、この台を磨いたって、下の開きの中はぼろぼろだ。 扉の汚れもきっと落ちやしない。 先日、ニトリの紹介の中で、システムキッチンがお勧めだといっていた! そして、先日ニトリの建設予定地を見つけた! これかも。

2011年3月26日土曜日

今の気持ち

 わが子が野球チームに入って、早6ヶ月がたとうとしている。
 なんとも言いがたい、無念な気持ち。こんなはずではなかったという、自分の期待の大きさに自分自身が処理しきれない思いを抱いている。
 何が悪いのだろうか。
 3ヶ月目の下級生にレギュラーの座を取られて。
 親の欲目でもぎこちない態度のまま。
 どんなアドバイスをしてあげたらいいのか。
 見守るだけのほうがいいのか。
 
 父親は放棄しつつある。
 野球への期待を。
 応援している気持ちが空回りしている。

 野球は経験だと父親は言い、チャンスさえもらえないわが子が不憫なのだろう。
 私も同じだが、あきらめてはいない。

 だって、親だから。

2011年1月2日日曜日

ねむり

 村上春樹さんの短編小説。
 村上さんは短編小説は書き直しというか、バージョンアップを図ることがあるとのこと。
 この『ねむり』も1989年に『眠り』として書かれ、ドイツの出版元がイラストレーション付で世に出たとのこと。
 〈眠れなくなって17日めになる。〉という一節から始まる。
 この普通でない状態を冷静に語る主人公の女性。
 一般に《不眠症》という言葉で片付けられてしまう状況に対し、女性は病院に行くという選択をせず、果敢に対峙し続ける。『アンナ・カレーニナ』を読み続ける。来る日も来る日も淡々と日常生活をこなしていく。
 女性は、眠れない夜を繰り返す中で、全身の細胞と神経を研ぎ澄まされ、自分や周囲を自分という定点から冷静に観察し続ける。
 結末は女性の状況と同じく目を覆いたくなるが、結論のない浮遊された状態の終結に私は眠れない主人公と同じ気分を味わうのかもしれない。

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...