2014年5月20日火曜日

弟への想い49

 父の弟への想いに胸が詰まった。

 亡くなってから毎日煙草を燻らせ、酒を酌み交わす。
 弟の写真に向かい話しかけていると。

 生前出来なかったことが多い私たち家族の関わり。
 亡くなってからが本来の姿だったら、どんなにいいか。

 胸が詰まり泣きそうになった。

 まだしばらくは弟の姿を想い、生きている如くの生活が続くだろう。
 どうしていいかわからない。
 どう言葉を掛けたらいいのか、どう対峙したらいいのか。

 「明日は来る?」と言われ、連日の実家通いに精神的な辛さを感じていた私は「明日は分からない」と言った。
 父は母に「明日は分からないって。」と伝える。
 自分のなすべきことに詰まっていく。

2014年5月19日月曜日

弟への想い48

 悔しさに気持ちがとらわれてしまっている。

 真面目に仕事をして、週末は一人で出かけていた弟。

 遮光カーテンの中の生活は日常だったのだろうか。
 仕事から帰宅し、父母のいる母屋へ入浴し、夕飯を食べに行く毎日。
 そのあとは部屋に戻り、自分の世界にいた。

 何を考えていたのだろうか。

 こんな人生は望んでいなかったと言われるのが怖かった。
 私(姉)のせいで、自由にできなかったと言われるのが怖かった。
 

 私が結婚してすぐに、義理両親と住む婚家へ来た弟。
 「いつでもおいで」というと「ほんとに来ちゃうよ」なんて言った。
 けれど、婚家の親は不審な顔をしていて、私は縮こまっていた。
 それから弟が来ることはなかった。
 なんて姉なんだろうか。
 自分の身を守るために弟を切ったのだ。

 それからなのか、私は義理父母が嫌いだ。

 弟の居場所を作る機会を自らの手で切ってしまった。
 神経の細かい弟は私の心に気づいただろう。
 そして、傷ついただろう。

 私は本当に弟を傷つけてばかりだった。

2014年5月16日金曜日

弟への想い47

 伊集院静さんの『許す力』

 家族を亡くしてはじめてわかる気持ちに泣くしかない。
 まだ泣くしかない。

 時間はまだ足りないし、弟に恥ずかしくない生き方をしなければとまだ思えない。

 過去は昨日。昨日までの出来事は昨日のことのようにこころが動く。
 

 やっぱりいきていたらなぁという気持ちが強い。

2014年5月9日金曜日

弟への想い46

 まだ話すことがたくさんあったね。
 話せなかったね。


 ごめんね。

2014年5月6日火曜日

弟への想い45

 まだまだ整理できず、弟のことばかり考える。
 弟が電話をかけてきた時間は履歴が残っている。
 胸の痛みに苦しんでいた時間を切なく思う。

 心肺停止の宣告を受けた時、心マッサージを続けてほしい気持ちより、なぜかお疲れ様という気持ちがあった。
 私は弟に対して引け目が常にあり、苦労を掛けていると思っているがそれはおごった考えであると少し気づいてきた。
 そう考えると、心マッサージを止めた私は弟を救わなかった責任者になる。


 最後の時を両親と弟と濃密な時間を過ごしてよかったなんて思ったりもした。
 母や父に素直に願い事が伝えられてよかったなんて。話が出来てよかったなんて。

 なんて勝手な思い込みなんだろう。
 自分の中で完結しようとする考え方はなんと残酷なことなのかが解っていない。

 今はすでに骨になってお墓にいる弟にどう謝ればいいのか。
 謝ることもできず泣くばかりだ。

 帰ってきてほしい。

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...