2012年12月28日金曜日

ノエル

道尾秀介さんの小説
王様のブランチで紹介され読む。
ちょうどクリスマス前後に読むことで、贈り物のような物語に酔いしれることができたかも。
続けて息子に読むことを勧めたが、物語の本質を捉えられたのか・・・
私にしてもどうかわからないが・・・

物語に出てくる人々の心に寄り添い、頭の中で映像化して読み進めることにした。
どうしようもない運命を引き受けようとする人、そこに物語が絡んでくる。
「自分でつくる物語は、必ず自分の望む方向へ進んでくれるものだから。」
という言葉は、私の昔の夢をきっぱりと言い当ててくれた。
そうだったと。

知りたいものが知れる、分かってくる。
逃げ込むのではない。

物語は物語の中だけでなく、現実をも変えてくれる力がある。
読み進めていく間は物語の中に溶け込み気持ちの昂ぶりを覚え、一息ついては成り行きに興奮し、読み終わって安堵する。
そんな物語が好きだ。

2012年11月27日火曜日

南木佳士 猫の領分

医師であり芥川賞作家である。
還暦を迎え、出版会社の若き編集者との出会いが生んだ、自選エッセイ集。
読むのに時間がかかった。
それは読み進める内容が著者の歴史を前後するため私の中でいつのあたりかと年表を行き来する作業があったからだろう。
幼き日の生母との別れから、祖母との暮らし、父との確執、義母との関係、医大時代、研修医時代から勤務医になり人の死に自分を消耗させていた頃、パニック障害からうつ病へ移行した経過、脱却から病と共に生きる今までを、自らが選んだエッセイから収められている。
日々の暮らしの中で、身の回りに起こった出来事は、自分の身に置き換えたり、家族との関係を振り返ったり、本が与えてくれる世界に改めて思いを深くしたり。
著者の生活を覗き見している気分になったり。
小説を書き始めた頃、編集者に「よい小説を書くにはどうすればよいのでしょうか」と問い「まじめに生きること」と教えられた事・その編集者への想いを大切にする姿勢が医師としての日々と小説家としての日々を絆いでいるのだろう。
私にもパニック障害の友人がいる。その友人の苦しみを少し理解する必要があったのも、本書に出会った理由なのかもしれない。

キャリアダウンって。

少し前まで、キャリアダウンすればいいなどと簡単に考えていたが、キャリアと勘違いしていた自分の経験値。これがそもそものお門違いだったのだろう。
役職に就いたわけでもなく、一番油が乗る頃に仕事を離れていたわけだし、再就職時に『昔取った杵柄』で仕事が回っただけだったことに、今気づくあんぽんたんだった。
今職場を変えようと思って初めて、自分の置かれている立場に気づいた。
自分を、最大・有効に活かせる場所なんて・・・。
活かすキャリアがない。
改めて、目に見えるキャリアの大切さを思う。
内面磨きなどと読書に明け暮れている日々はなんだったのだろう。
昔の武勇伝が何になるのだ。
今何ができるのかを真剣に、自分に対峙しなければならない。
何もない自分。

2012年11月23日金曜日

自分のやってきたこと

あー!!と声が出てしまうこともある。
自分のやった、みっともない行動に。
何考えていたんだろうと思うが、その時点では何が何でもやらなければ自分がなくなってしまう気分だったのだと思う。
けれども、合わない人たちの中で、一人気を張っていた自分は肯定したい。
人は自分を粗末にする人に好意を持たない。
それだけのことだった。
私は粗末にされたと感じたのだ。
今もそれらの出来事に気持ちを揺さぶられてしまうが、その人達はどうも思っていないのだろう。
悔しさと虚しさ、憤りを感じる。
久々に会ったそれらの人は、それなりに歳を取ってキツさが増していた。
やはり交わることはできないと思った。
だから、今はそういう自分をわかって、行動しようと思っている。

2012年11月22日木曜日

今の気持ちをまとめよう

扶養範囲で働いているため、100万以内にしようと現在調整休み中。
旦那にはそれとなく言ったが、どうも分かっていないのか?
しかし、同時に転職活動をしたわけだが、49歳では期待されないということを実感した。
求人登録をし、実際に足を運んだが、「いいのがあったら・・・」と、働きかけがない。
コンなものなのだと、少々悲しかったが。
改めて考えたら、「そりゃーーそうだ!」と。
ガンガン働けるわけでもないのに、偉そうに求職しようなど思うのがおかしい。
悲しい現実だ。
今の職場の嫌のところ。
>上司がスタッフをまとめられない。
>仕事のできるスタッフに媚を売る。
>休憩ばかりする。
>さぼろうとする新入職者ばかり。・・・だから仕事ができないのにやめない。
>仕事以外の事もやらなければならない。時間外になる。
>人を信じられない。影で何言われているかわからない。
>職務特権を詐欺しない。
事情をよく知る元同僚の先輩に話を聞いてもらい、共感してもらうだけだ。
じゃーどうするというわけだが。
今の条件・状態のままで働ける職場なんてない。
自分の働き良方が甘いのは重々承知しているのに、何を偉そうに!である。
自分が職場を変えていくのが、一番なのだが、トップがそういう気持ちがない。
正直に話ができるとも思えない。
どうして欲しい?
>個人的に話をしていることを、ほかのスタッフに言わない。
>自分から休憩しようと言わない。
>主任とその他のスタッフをはっきりする。特別扱いをしない。
>給料同等の働きをしない人は降格する。
>委員会は管理職が基本。無理強いしない。

2012年5月11日金曜日

『しがらみ』を科学する

ほぼ日刊イトイ新聞の山岸敏男先生のシリーズを読んで。
 答えのでない問いに自分と息子なりの気付きのキッカケを見つける読書に励みました。
 「ここかな?」と思う文章を、何度も繰り返して読み理解しようと試みました。
 日常生活の中で「何でコンナコトしてしまうのだろう・・・」と、自分の行動に≪ト・ホホ・・≫感覚を抱き続けている自分に答えを見つけたかった。
 口語文体で、問いかけるように書かれています。
 社会学って、学校で習ったときにも、[理論的に考える・視点を変える・数字にしてみる]なんて印象があったけれど。
 様々な研究や統計が出てきて、元々数字の苦手な私には無理な学問という思いがあったことを思い出しました。
 けれど、真っ向勝負をしてみたくなった。
 たしかに、『理論』がなければ何を観察したらいいのかを決められないですね。

 一人ひとりの心に原因があると考える直感的な理解を心でっかちな考え方と著者は言います。
 『心でっかち』な私の属する≪世間≫
 世間は狭いとよく言います。
 世間体という言葉っていい印象はないです。
 いつも周囲の目を気にしている自分。
 そして、それは私だけでない。
 読書後に私に中でよく出てくるようになった言葉『予言の自己実現』
 人々がある期待を持って行動すると、結局その期待通りの結果が生まれてしまうという事。
 見回してみると世間の中で沢山見当たる。
  ピグマリオン効果の例が分かり易い。
 表題のしがらみとは、「社会を作って生きているってことは、その中ではあるしかたで行動せざるを得ない状態ができあがっているってこと」を表現する言葉だと書かれています。
 「社会の中で私たちは自分の好きなように行動することはできない。」「みんながよってたかって、特定のしかたで考えたり行動したりするようにしている状態」という。「しかし、重要なのは、みんながそうした原理に基づいて行動をした結果、どんな環境が生み出されるかだ。」と。
 いじめなどもその中にあると。

 『社会』では、自分たち自身がまわりにあわせてとる行動が、結局は自分自身の考え方や行動や生き方をしばりつけることになる。
 まさに今私の中のジレンマだ。
 では、どうしたらいいの?と私は思う。
 その答えは、昔なら、人里離れたところで生活するなんてことがあったと。
 いや、この世間の中で生きていく方法が知りたいんですよ。

 『世間』=『空気』
 KYと言われてしまうのを怖がっている人々。
 『世間』の上に『社会』がある。
 『社会』には契約とか法律に基づいて作られているいろんな組織や制度が含まれているが、『世間』にはそうした意味のものは含まれてはいない・・・というところに目を向けようと。
 「『社会』では、ちゃんと決まりとか法律を守っていさえすればいいんだから、ほかの人たちが自分のことをどう思うだろうかをいつもいつも考えている必要はないんだ。」
 社会を理論的に理解して、そこで働いている原理を使って、『社会』で自分がどうしたらいいかを考えるんだ。
 ≪世間をうまくいきられないなら、社会でいきるようにすればいい≫ 
 と言うのがまとめでしょうか。
 今年は隣組の組長・・・世間にどっぷりつからなければならない。
 愛想笑いやなんでもない会話への反発心はどうも顔に出るらしい。
 困った。

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...