2014年1月31日金曜日

弟の死10

 とうとう弟が乗っていた車を私名義に変更する手続きをした。

 実家に置いてあった車の移動は親の気持ちを考えると躊躇したが、くるま屋の後押しがないと進まなかったかも。

 実家から車屋への道のりがつらかった。
 泣くにも泣けず。
 実家に取りに行く連絡をしてあったので、想像はしていたが、車を磨く父の姿に胸が詰まった。
 父は私のために手続きを進めることを承知したのだろうし、私は父の気持ちを思い、後ろ髪を引かれながら手続きを進めた。

 くるま屋は自分の立場で急いでくれたのだと思うし、そうしなければしばらくそのままだっただろう。

 そのほうがよかったのかもしれないが、くるま屋の話ではこの時期に手続きしないと今の持ち主に税金が掛かってくるらしい。

 まわりに助けられて進んでいくしかない。

 和也のタオルを持ち帰り、思い出しては見つめている。

2014年1月30日木曜日

弟の死9

 自分の中で整理がつかない。

 CPKを調べてみても、心筋梗塞を起こしているほどの高値ではない。
 けれど、原因を突き止めても、弟は戻ってこないというのが悔しくて切ない。

 お酒を飲みに行きたかった。
 話がしたかった。
 話を聞きたかった。
 力になりたかった。


 話しかけると、短い返事が返ってきた。
 ペラペラ話すタイプではなかったが。

 友人の話では、姉としての私の話も出てきたという。
 
 

 以前短期入院した時は頼ってくれた。
 嬉しくて有頂天になった。

 なにかあったら頼ってくれると思っていた。
 そんな機会も少なくて、不安になった。

 自分勝手な姉を認めてくれていたのだろうか。
 自信がない。


 発作の場面ですぐに心マッサージをしなかった親を責める気持ちになる。
 私がいてもとっさには無理だったろう。
 それでも、悔しさだけだ。

 病院にいって一晩過ごして帰ってくると思っていた親を責めることはできない。
 本当にあっけなく逝ってしまった。
 

弟の死8

 昨日買い物中に知り合いに声をかけられた。
 話しているうちに泣けてきた。
 

 やっぱりあきらめきれない。

 もう10日経つが。

 現実問題が徐々に出てきて来ている。
 跡継ぎとか、土地や家や。
 弟の遺産は両親だけで、問題はないが。
 この後は親戚が関係してくる。
 こういう状況になって、やっぱり弟には生きていてほしかった。
 私がフォロー役でいられた。
 そしたら頑張れた。

 いい人の両親は使われてばかり。
 しまいに脳こうそくの発作の時も、調子悪いと訴えたのにいい加減にあしらわれて手当てが遅くなって、後遺症が残った。
 私は忘れない。

 これからは私が矢面になることが出てくる。
 頑張らないと。

 

2014年1月29日水曜日

弟の死7

 昨日次男の希望で「永遠の0」を見た。
 弟のごみ箱にこの本のブックカバーが捨てられていた。
 本体は見つからないままだ。
 私も購入し、今は長男が読んでいるが、弟の本はどこに行ってしまったのだろうか。
 最近の購入だろうが。

 昨日も両親とけんかをした。
 もともと母親に対して嫌悪感を抱いているが、この状況でも自分を変えられない。
 母の一言は私の神経を逆なでする。

 頑なな父の言動にも閉口する。

 そして、考える度にこの両親を弟に丸投げしていた自分を感じる。
 弟は両親の面倒を見るつもりだったが、それをいいことに自分勝手に過ごす私にいい想いを抱くはずがない。
 邪見に扱う私をみて不満を感じていたであろう。
 

 弟が亡くなりすべてが私にかかってきた。
 50年の報い。

 

2014年1月27日月曜日

弟の死6

 今日も一日親の手続きで終わった。
 遺族年金は母に追加。
 すずめのなみだ。
 手続きの煩雑さに閉口する。

 次に市役所で書類を出したが、銀行はコピーが可と。
 知らずに余分に請求し、2千円の無駄。

 信用金庫や銀行の手続きもまだまだ続く。

 現実は気持ちが逆剝ける。
 

 こんなに早くに手続きをすべきだったのか?
 親に精神的苦痛を与えているのかもしれない気持ちを抱きずつも
止められない。

 合理主義者の性だ。

 携帯電話の引き落としが本日付でされていた。
 ショップに行き解約する。
 切ない。

弟の死5

 朝になると、実家の離れから朝ごはんに出てくる弟がもういないという事実を考える。
 そうかもう君はいないのかという本の題名が頭に浮かぶ。
 頻繁に浮かぶ。

 寒かった離れ。
 何の理解もしていなかった。
 弟の勝手だ、くらいの感覚しかなかった。
 父は弟の死後に「寒い部屋に住まわせた」と後悔していた。
 本当に苦労と苦痛しかかけていなかった。

 姉弟としての配慮は自分勝手な思い込み、都合のいいような解釈で終わってしまった。

 いつか力になれる機会が巡ってくるなんて悠長な時間の猶予はなかったんだ。
 悔しくて情けなくって、何を怖がっていたんだと自分に言いたい。

 拒否されるのを怖がる自分は人間関係すべてに面倒であろう事柄から逃げている。
 かわいい弟なのに、
 苦労や不安をわかってやれなかった。
 共有すべき不安や苦労はたくさんあったはず。

 弟は一人で考えていたのだろうか。
 一緒に考えていてくれた人がいたらよかった。

 結婚相手を紹介するという話に、「お願いします」と言ったと。
 意外なことだが、
 弟の気持ちの変化があったのだろう。
 前向きになってきたのに。

 考えるほどに無念だ。

2014年1月26日日曜日

弟の死4

 自分より不幸な人と比べて、弟の死を納得させる気分にはならない。
 悔しい出来事が自分の努力や配慮でどうにもならないことはわかっている。
 だけど、意味がある死なんて存在するのか。

 人柱なんて、いらない。

 悲しむ人、惜しむ人がいるから受け入れようなんて、出来るわけない。

 家族それぞれ色々あるんだ。

 人に理解されないであろう事情や、言い出しにくい事情や。

 意地と体裁はある程度社会生活をしていたら仕方なく表出してくる。

 それでも、
 姉として出来たであろうことから逃げてきた私への天誅。
 ひどすぎる。


 弟の未来は断ち切られ、親の未来も消えた。
 私の未来はいばらの道となり、
 あがくことさえできない。

 「出来るだけ家に来てやって。」皆がそういう。
 私のやるせない思いはどこで吐き出せばいいのだろうか。
 両親の悲しみや失望や溢れる思いをすべて受け入れられる程の器や余裕は私にはない。

 自分の涙はしょんない涙。
 親に比べたらそうなるのかもしれない。
 でも、後悔だけが先立つ思いに答えてくれる声がほしい。

 そう思うのはお門違いなんだろうか。

弟の死3

 後悔しかない。
 これからやっと弟の力になれると思っていた矢先だった。

 今まで、何の力にもなっていなかった。
 そのままで死んでしまうなんて、思わなかった。
 

 弟の携帯電話に入っていた友人にやっと連絡が取れたのは幸いだった。
 知らなかった弟の姿を聞くことができた。
 楽しい時間を過ごしていたことを知ることができた。

 写真もなく、遺影は免許証の写真。

 一番最近の写真自体がそれだった。

 このあと、テレビを見ていた母が「そういうひとは残っていていいね。和也のは何もない」と、やしきたかじんの追想番組を見ていて言った。
 切なかった。


 私は自分の接し方を悔やんでも悔やみきれないが。
 たとえば、バレンタインのチョコはなぜ渡さなかったのかとか。
 私の次男と一緒に野球をさせたかったとか。
 うるさがられるのが嫌で、声をかけなかった自分の浅はかさとか。
 ずっと、一緒に酒を飲みに行きたかったと思っていたのに提案しなかったのかとか。
 なぜ、嫁入り先に呼ぶのを遠慮したのかとか。

 和也に謝りたいことしか浮かんでこない。

弟の死2

病院から自宅までの車がなかなか来なかった。
午後9時25分死亡確認
帰りの車は11時過ぎていた。
霊安室で過ごした時間。
ずっと顔をさすった。
まだ温かかった。
でも、今、その感覚がわからない。戻ってこない。覚えおきたかったのに。

もう動かない弟。

まさか。

こんなにあっけないのだろうか。

さっきまで生きていたのに。

大河ドラマを見るたびに戻ってくるであろう記憶に、私はこの一年耐えられるだろうか。


弟が座っていた炬燵の位置に座る。ありえない。

弟の死

 先週の日曜日、大河ドラマを見始めたころ「和也が救急車で運ばれた」と父より電話。
 旦那に頼み、車を出す。
 実家には父だけ、すでに救急車は出ていた。
 病院に着いたが、「覚悟していてくれ」と救急隊員に言われたと母が言う。
 処置室では蘇生されているであろう弟。姿は見えない。

 呼び入れられた部屋の別途には、挿管され心マッサージされる弟。
 目は半開きだった。
 思わず手を握る。
 ベットから滑り落ちた弟の手を握り、さすり続けるしかない。
 

 CTとX-Pを撮り原因をみたいと医師。
 断ることもできないし、弟が戻るとも思えない。
 検査から戻っても、なおざりなアンビューバック押しに悲しみしかない。

 もう戻れないであろう意識。
 呼吸も心臓の動きも。


 手を握る。
 和也。


 これからなのに。
 家で一番必要だった。
 なぜなの。
 理由なんて見つからない。

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...