2015年1月19日月曜日

とうとう超えてしまった


 1年前のこの時間にはもうこの世には存在していなくなっていた。
 弟の死亡宣告の時間が過ぎた。

今日は命日


 とうとう1年が経った。

 やるせない想いは変わらず、後悔ばかりが頭に浮かぶ。
 昨日の8時までは、「1年前は生きていた」けれど、実質心停止したであろう8時からは
弟の1年前のこの世の姿がなくなった。
 切なくて、苦しかった。

 1年前のこの時間はもう静岡に出発していただろう。
 シャガールの絵画展を観て、雪山に登る装備を購入しに行くのだろう。
 値札のついたままのものが、この世での弟のこれからへの希望が想われて悲しかった。

 突然の死は胸を焦がす。

 弟のいなくなった部屋に入って、突然不在になった日々を過ごした空間に、「どうしてこんなことになったのか」どこに聞いても出ない答えを探す日々が始まった。
 今も続く。

 命日のこの日、私はどう過ごしたらいいのか。
 お墓参りをして、実家に行き、弟を偲ぶ。
 親の前で素直に泣くことができないのは、自分自身の問題だが。
 悲しむ親にやさしい言葉も掛けられない自分は、弟の想いを未だ継げないでいる。


 弟が頼りだった。
 大好きだった。
 かわいかった。

 話のできないまま逝ってしまった。
 弟の培ってきた知識を残してやりたかった。
 

2015年1月12日月曜日

1年たってしまった

 
 まだ弟の話はできない。
 だから、何も変わらず想うだけ。


 写真の前の花を枯らさない事と引き継いだ車を汚したままにしない事だけ。
 私がこの1年続けられたこと。

 

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...