2016年5月22日日曜日

初めて枕元に立ってくれた

 昨日朝方、金縛りにあって、目を開けたら和也が横に立っていた。
 ジージャン姿のきれいな顔。

 表情はわからない。
 目をつぶってしまった。

 顔を近づけてきたような。


 何か知らせたかったのか。

 会えただけでうれしかった。

2016年5月5日木曜日

NHKドラマ「最後の贈り物」に期待しながら観た

 弟が亡くなってから自分勝手に想いを膨らませてきた。
 自分の浅はかさや考えのなさを言葉に置き換えることができずに今も生きている。
 後悔ばかりの想いを覆ってくれる言葉などないのに。
 弟が亡くなったことで、死というものがすごく身近になり、先が見えないし、想像もできなくなった。
 10年後にどうなりたいかなんて、考えられない。
 人は必ず死ぬのに向き合うのは難しいし、向き合いきれないまま自分や大切な人の死を体験
 する。
 もっと話したかった。
 一緒にお酒を飲みたかった。
 家に呼びたかった。
 情報をもらいたかった。
 うんちくを聞きたかった。
 知識を教えてほしかった。
 気持ちを確かめたかった。
 こうしてほしいと言ってもらいたかった。
 ダメ出しをしてほしかtった。

 楽しい時間があったと言ってほしかった。

 自分本位でしか考えられない私にはきっと弟を理解しきれなかった。
 繊細な心に気づくことはできないままだった。
 申し訳ない。
 私は弟の一番の理解者でありたかった。

 大事な人を亡くした後どう向き合ったらいいのか、大事な人はどう思っているのかなんて
 分かるはずもないけれど、一般論が知りたかった。
 
 ドラマの最後に「人は死んでしまっても、意識は残る。」
 「思い続けていてくれるから、今でも温かい気持ちいられる」
 私にとって寄り添ってくれる、救ってくれる言葉に出会えた。
 涙を流して、悲しい気持ちを少し軽くできた。
 
 

2016年1月20日水曜日

命日

2回目の命日がきた。早いものだ。
忘れる日はないし、謝らない日はない。けれど、謝りながら上から目線の自分にガッカリする。
和也は私に期待していないだろう。期待することを諦めたのだろう。最初は期待していたのじゃないかと考えただけで、情けない。自分本意は直せないままだ。
結婚式で、友人達の席をお酌して回ってくれていた和也。
家に呼んだ時にほんとに来ちゃうぞ何て言っていた和也。
期待に応えないままにわかれになってしまった。
亡くなるときに、ダランとベッドから落ちた腕をとっさに戻した。意識が戻ってくれると期待した時間は一瞬だった。
頬や、おでこを、摩りつづけた時間は宝物だった。
お墓の前で泣かないなんて出来ない。

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...