2014年4月26日土曜日

弟の死44

 昨日今日と実家に行かなかった。

 親の依存に疲れ始めた。
 3か月でギブアップ。

 元々実家に通う方ではなかったし、母の言動に反感を持っていた。
 弟の遺志を想像しながら、無理なことをしている。
 この実家通いが当然のことになるのは私の性格上無理だ。

 唯一の娘である私は家族への情に欠ける。
 申し訳ないが事実だ。

 そういう自分が嫌で、旦那と結婚した事実がある。
 私は無理だから、そういう人と結婚すれば自分も変われると思ったが、無理だった。

 内緒話が筒抜けになる声の大きさの母が大嫌いだった。
 嫌な思いをたくさんした。
 それが解ってもらえない母が嫌いだった。

 今は弟が亡くなり、人として優しくしなければならないと思っている。
 だから自分らしくないが、実家通いという行動をしている。
 それだけだ。
 弟は母に素直になれなかったが、優しかった。
 母を好きだったと思う。
 私は自分の気持ちが解らない。
 母になつけなかった。

 自分が一番の母が嫌だったが、今は私自身が自分が一番になっている。
 息子たちに申し訳ない。
 大好きで大事なのに、やっぱり自分が一番になる。

 避けても避けても血は追ってくる。


 ごめんね、和也。
 ねえちゃんはあんたの期待に応えられない。

2014年4月24日木曜日

弟の死43

 3か月が過ぎても、受け入れられないまま。
 ここ何日かで墓参りを繰り返した。

 何の慰めにもならないが、墓には弟の骨がある。
 姿は違えど実体がある。

 これこそ私の求めるものなんだ。
 実体が懐かしい。
 残像はだんだん不明瞭になっていく気がする。
 それが悲しい。

 弟の姿を見たいと思う。
 願いは叶うことはない。

 面影はあやふやだ。
 いつでも見ることができると思っていたからじっくりになんて見たことがなかった。

 弟からしたら、何の期待もない姉だったのだとわかってはいる。
 だけど、姉として何もできなかった情けなさはどうしたらいいのか教えてほしい。
 助けられなかった。
 助けられたかもしれないなんておこがましいが、何かを弟にとっての何かを救ってやりたかった。

 弟にとって最後の砦になりたかった。
 そうなれる日々が近いと思っていた。それなのに。
 やるべき今を見逃してきたのか。
 見ていたのに見えない振りをしていたのではないか。
 それを否定できない自分が怖ろしい。
 

2014年4月12日土曜日

弟の死42

 本を読めるようになってきた。

 桐野夏生さんの『だから荒野』
 荒野を選んで生きてきた老人の言葉に、弟を重ねた。
 弟が選んで生きてきたんだと思うことができた。
 私にとっては荒野そのものの弟の一生。
 私や親が干渉することを拒んできた弟の生き方だった。
 それを今さらこうするべきだったというのはお門違いかもしれない。
 それでも後悔は消えないけれど、少しの慰めをもらった。

 柳田邦男さんの『悲しみは真の人生の始まり』な中には、真の癒しについて実体験に基づいた言葉が書かれていた。
 思わず涙が出た。

 逃げようとしていた浅はかな自分に気づいた。

 私は桐野さん曰く、「痛い目に遭ったことのない怖いもの知らず。」

 この姉の姿は弟にどう映っていたのかが怖かっただけなのだ。
 だから、弟がどうだったのかが気になるのだ。
 自分の本性は自分勝手なままだったことを思い知った。

2014年4月5日土曜日

弟の死41

 昼過ぎに母から電話が来た。
 私の長男は今日こちらにくるのかと。
 切羽詰まった感じがし、息子に聞くとバイト帰りの息子は今から友人と映画に行くとのこと。
 実家に行く約束をしていたらしいが、以前からの友人との約束を忘れていたらしい。

 仕方なく急きょ私が実家に行くことにした。

 母は「急に寂しくなって、泣きながらいた」
 と話す。
 何も言えない。
 その切実感は電話でも感じた。
 娘である私は行動するしかない。
 
 実際に親は息子を亡くし、混乱から抜け出せない。
 私も混乱の中にいる。
 でも、子供を亡くした母や父に「私がいる」ともいえない。
 違うのだと思う。

 息子は未来を託せる存在で、娘は期待通りにはいかなかった。
 私は期待に応えられない。


 なぜなら、両親が信じるものが信じきれないから。
 

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...