2018年10月7日日曜日

思慮深くなりたい


 Oさんと久しぶりに話す。
 Oさんのおかげで今の職場に就職できた感謝の気持ちはじかくしている。
 しかし、どちらか一人の勤務なので、一緒になることはなく、顔を合わせるのも久しぶりだ。メールのやり取りはお互いの勤務交代日に合わせて頻回。

 職場や家のこと自分のこと、正直に話しているが、彼女に甘えている自覚がある。
 何とかしてくれる先輩というような。
 私の悪いところは、無意識の甘え。
 自覚があっても、直せない。

 職場でも、何年もいるような感覚になるが、それも彼女のおかげだと忘れてはならないと思う。
 
 若いスタッフの話を彼女から聞いて、私はなんと思慮の足りないオバサンなのだと、改めて思う。
 家庭環境や職場の人間関係において、私は自分の価値観で過ごすところがあるが、
それがある人を傷つけていたかもしれないことにハッとした。
 何も言わない若くして思慮深い子をなんと傷つけていたのかと思う。

 天然のふりをしているつもりだろうが、見ているとイタイおばさん。
 恥ずかしい。

2018年9月15日土曜日

言葉にすることは大事


 悶々としていて、日記帳もない。
 日記帳なんて死語かも。

 4日ぶりに実家に言ったら、なかなか来ないと言われる。
 ムカッとする。

 いちいち反応してしまうのは、後ろめたさがあるから。
 行けるのに行かないから。
 でも、行くことが義務ではない。
 義務と思う自分が嫌だ。

 行きたくないけれど、行ける距離にいる。
 相手を第一に考えるのであれば、毎日でも行く必要がある。
 
 何故こうも、期待されるのかと考えると、弟が亡くなってしばらくは、ほぼ毎日行っていたから、そこがあのひとには基本になっているのかもしれない。

 年寄りは自分の感覚しかわからない。
 
 やっぱり苦痛でしかない。
 親の顔を見て安心するという感覚が私にはない。

 自分の本心は言えないな。
 でも、言葉にして自分で自覚する。

2018年7月8日日曜日

これからのことを考える


 週2で働くように固定されたら、実家に通うのが義務になる。
 さて、朝の動きが慌ただしくなり、やや緊張の日々が続いている。
 1時間早まった始業時間に、通勤に30分となると、結構忙しい。
 息子の出発時間よりも、私のほうが早くなり、まだ引け目を感じてしまうが、
そんなことは考えたら当然のことで、私が管理することではない。
 
 お互いのためにもいい機会になるように、私がしていかなければならない事である。

 自分がこれからの人生をどう生きたいか?

 計画を立てないと、世の中の動きに置いて行かれる。
 早くマスターとメンターを見つけたい。

 新しい職場では、貢献できる人材として認識されるように、早めに動きだそう。

 戦略的に、計画的に、粛々と進めよう。

 期待されるのはこのままの業務だから、自分の中で意味を作り出さなければならない。

 若いやる気のある子を見出して、育てるのもいい。
 経験のある人たちに現場を教えてもらうのもいい。

 0・2%の改善を心がけよう。

2018年7月7日土曜日

真意の読めない人


 ドSキャラの私としては、愛情表現の入った言葉の真意も考えず、「あんなこと言ったら挨拶しに行きにくいよね」と、言うあなた。
 来てほしいと思っていないので。
 来てくれる人は、そういうキャラがわかっている人なので、自分の考えを言わなくてもいいですよ。

 皆が送別会に来てくれるとは思っていないので、『来てくれた人のほとんどは、私が離れたくてたまらなかった上司への忖度である』と思っていますけれど・・・何か?

 1次会でさっさと帰ったのも、上司に忖度することを拒否したいから。

 皆で感傷に浸る気持ちはない。
 心残りもないし・・・。

 私に「今度は理事長できたら?」と、爆弾発言で嫌な上司の感情を逆なでしてくれたあなたに拍手です。
 行くわけないけれど、ケンカを売った姿勢に、掛け声掛けたかったですよ。

 2次会は爆弾発言をしに来てくれたあなたのカンパで、例のごとくタダ酒を飲むことでしょう。そこに私はいたくないだけです。

落ち着いて過ごせるようになった


 送別会も終わり、
 「あー!これで嫌な上司の顔色をうかがう必要のない日々の完全な始まり!」

 

2018年6月27日水曜日

弟の誕生日に


 前日にお墓参りに行った。
 自責の念は消えない。

 私は弟が苦しがった時点で救急車を呼ばなかった親を責める気持ちで自分の行動を振り返ることができなかった。
 けれど、ふと思う時がある。

 一瞬一瞬が場面として脳裏に浮かぶ。
 そして、心臓マッサージをしていた場面が浮かんだ時、「もう少しするか?」との問いに、「もういい」と答える権利が私にあったのかということ。
 頭の中が真っ白だったであろう親は、何も答えられなかった。
 医療者になってしまった。

 処置台から落ちた腕をすぐさま持ち上げて戻した。
 弛緩していたことで、もう戻らないと思ってしまった。
 戻ってほしいという思いがあのときあったら、もう少しマッサージをしていたら・・・
と思うことが未だにある。

 自己満足しかなかった私は、こうして2人分を背負う羽目になっている。

 生きていたら一緒にしたかったことがたくさんある。
 何もできなかったに等しい。
 姉弟の親密感をお互いに感じる時間はほとんどなかった。

 これが私の業なのだと思う。

2018年6月24日日曜日

長い一週間


 先週は退職の2日後には再就職先の勤務を入れたため、結構ハードだった。
 感慨にふける間もなく、新しい職場でいっぱいいっぱいだった。

 仕事は難しくはないが、何かの対応が不安なのはある。
 経験が必要。

 こんなにスムーズに転職職場にはいれるのは、友人のおかげ。
 感謝だ。
 一つ不安材料がないというのは大きい。人間関係に入り込むのは大変だから。
 子供のような年齢のスタッフの多さに驚く。
 そして、同じように少し上の年齢のスタッフも多い。

 自分のペースを守る。
 しかし、友人に期待されているのは、自分の穴を埋める程度の仕事なのだろう。
 先走ったり、余分なことはしないほうがよさそうだ。

 さて、私は何をしたらいいかな?

2018年6月19日火曜日

終わった!!!


 上司のいない最終日が終わった。
 粛々と。

 思ってもみない人のに餞別を頂いたのは、想定外。
 感謝と言う言葉は最近よく口にするし、思ってもいる。
 それは確かだ。嘘ではない。

 お返しに悩む。
 基本はケチだから、こういう時は気を付けないと返しすぎる。
 出産祝いはほとんど返したし・・・。

 時間は止まってくれない。今日は止まってほしいとも思わなかったが。

 しかし、一件腹の立つことがあったなー。
 退職届の宛先に書いた奴。
 「引退だっけ。」一言。
 「そうです。」とだけ答える。
 期待した私が相変わらずバカだった。
 言っていないことを、気にしていたのに。

 やっぱり悪の根源3トリオの上司たちだ。
 すっぱりお別れ!
 もう行かない。

2018年6月18日月曜日

セレモニー


 ラスト2日目終了。
 夢にまで悩んだ今日の挨拶。
 上司が休みで言っていいかと。

 なんと小心者なんだろうか。

 そして、今日行ったら・・・、明日休みなので、今日は出勤だと。
 ほんとにがっくりする。

 昼休み前に恒例のセレモニー。
 退職者にスタッフが一言ずつ!

 本心かどうか分かるものだと、感じた。
 結局のところ、そんなものだ。
 腹心の友って、懐かしい言葉が浮かんできた。
 お互いの気持ちが大切に感じる間柄になれることは稀である。

 14年がどんなものかわかるのは、もう少し先かもしれない。
 私はどう対応するか、人間力が問われる。
 でも、ケチだからなー・・・。

2018年6月15日金曜日

さてさて、心残りとは・・・


 冷静ではないのか、よくわからない。
 何故なら、4月中ごろまでは、ここまで辞めたい気持ちがひっ迫していなかった。

 とんとん拍子に話が進み、後は2日となった。
 人によってはどうしたらそんなにスムーズに辞められるか?と聞いてきた。
 さて、今後の生き方論か?昔なら定年の歳に、新たなる職場に行こうとする同年代の出世頭からの、情けか?

 そうそう、心残り。
 一人づつ考えてみよう、時間の無駄とも言うが。

 Aさん:とんだ狸。口コミにパワハラと書いてあったと、後輩が言う。
     悪の元凶。忖度の頭。取り入られ上手。
 ここまで書いて時間の無駄度半端ないのでやめた。

 自分が考えているより、どうってことのない存在だということを肝に銘じなければ。
 淋しいけれど。そこはあと2日で明らかになってしまうことだ。

 公になっていない事だけが声を掛けられない理由ではない。
 力もないただの同僚だっただけのこと。自覚していれば傷つかないよ!
 これ本音。

 暗くなるけれど、次に頑張る理由になる。

それでも、悶々とする


 あと2日。

 気持ちの変化は自覚できない。
 辞められる実感だけがある。

 後ろ髪を引かれる気持ちもないし、後悔もない。
 やれることをやってきたという、達成感もない。

 忖度の14年だった。
 作り笑いばかりではなかったし、楽しかった時間もあったが、自分らしかったかは実感がない。自分らしいっていうのもおかしいか。
 遠慮なく関係を持てた人もいたし、嫌な人もいた。
 職場と言う社会の中で、尊重もされたことは感謝している。

 一目置かれた立場にさよなら。
 新入職者となって、がんばろう。
 そうしよう。

2018年6月13日水曜日

また人に期待する悪い癖が出てくる


 退職するにあたって、名残惜しいと言う言葉を期待している自分がいる。

 そうではなく、一刻も早くあの上司から離れること、搾取される立場からの解放が目的であったことを忘れてはいけない。
 同僚はそれぞれ忖度の中でいるわけだから、今の私はとにかく離れたいという自分の気持ちを最大値に考えたいる。
 我慢できないという自分の気持ちを受け入れて、今回の行動に移したという最初の目的の上には、上司を言いくるめられた自分をほめてもいいくらいだ。
 何故なら、14年間言いくるめられてきたから。
 結局最後まで振り回されてはいるが。

 やっと行動した自分を認めよう。

 人に期待ではなく、自分に期待する。

 退職前の最終勤務日まで公にしてくれない上司に期待や尊重をしてきた14年からおさらばできる事に感謝。
 それだけでいい。
 

やられた


 今週の勤務が終わった。
 残るは来週の月・火曜日。

 退職の「挨拶は来週で」と言われていたが、なんと上司は休みが入っていた。
 やられた!

 こういう扱いがあの職場ではまかり通るくらいに、力が集中していることを改めて感じたし、情けなかった。ここまで行動しきれなかった自分自身にも。

 しかし、了解は取ってあるので、不在でも、挨拶はする。
 でなければ、最終出勤日に挨拶する羽目になってしまう。

 やはり、私自身も、アサーティブネスを学ばなければならないし、グリットを持たねばならない。

2018年6月12日火曜日

自分の感覚が古いんだろうか


 先週入った2人の内、1人は辞めた。
 もう1人、転職の既往が多い40代半ばの人は、タメ語で話す人だった。
 ダメだ。

 昼前に休憩していたところ、ほかの人はどんどん先に出て仕事を始めていたが、彼女は最後に人が出るまで座っている。
 もちろん私より後まで。
 何が目安なのだろうか?

 これは、ダメなパターンだ。
 見た目おっとり系だが、転職の多さがその性格を物語っているように感じた。

 古い?

提出完了


 退職届を出す。
 任務完了し、2人に退職することを伝えられた。
 どうも、人選が甘い。
 言ったほうがいいであろう人に言えないのはなぜなのか?
 相手にとってそれほどのことでもないであろうと思うのもあるし・・・。

 1人に伝えたら知っていた。
 やはり、喋っているのだろう。
 例の人が。

 今日も1人辞めた。
 先週入ったひと。
 まあ無理だろうとは思ったが、なんだか変な人だった。
 私は、相手にできない。
 その人にかこつけて、さんざん言われた。
 もらった恩はそれ以上に返すものだと。
 来週辞める挨拶をする私に当てつけというのは、今までの経験上外れではない。
 こういう上司の下では、1秒たりとも居たくないというのが本音だ。


そして、退職届をかいた


 悶々とする。

 辞めるまで、今日と来週2日の出勤を指折り数える。
 昨日は、埒が明かないから、退職届を書いた。
 書式はサイトで見たが、提出年月日が不安。
 なぜなら、いちゃもん付けの天才がいるから。

 公式に行ってくれないと、公に退職を口にできない。

 勝手に言うと、いちゃもんを付けられるから。

 で、きょう提出して、好意的に対人関係を築けた人にお別れを言わないと。

パワハラ・・・今日も眠れない


 やはり、パワハラではないか?
 私は今日も眠りにつきにくく、早起きしてしまった。

 昨日は6日ぶりの出勤。
 「ちょっと、辞める・・・」と話しかけたとたん、「辞めるの辞めた?」
と、きた。
 「なんだ、違うの?嫌い」
と。

 なんなのか?

 この人本当に嫌な人だ。

 これ、言う?

 意味が分からないとはこういうことだ。


2018年6月9日土曜日

機嫌よく・・・疲れた


 今年も10回のお勉強が始まった。
 「機嫌よく」話しかけ、笑顔で対応!に疲れがどっとでた。
 いかに私は不機嫌状態が板についていたか?ってことなのか?

 いやいや。
 「人生の悩みはすべて対人関係」なのだから、やり抜く力を持とう。

 どうも、自分のことを言うのに「じぶん!じぶん!」と出てしまう。
 では、どうしたいか?
 配慮のある言葉を口にしたいのだ。

 どうしたらいいか?
 周りにいる感心する人のまねをする。
 真似から入るしかない。
 そして、感謝の気持ちを持つ。
 とりまくすべてに。

2018年6月8日金曜日

今、ここ


 幸せは「丁寧である」「親切である」そして、「機嫌がいい」と言う形で現れるそうだ。
 気持ちを新たに、体現できるように今、ここを進もう。

 今日は次男が寝坊して、電車に乗れる時間でなかった。
 つかさず動けた私は、「今、ここ」のできることをやった。

 2時間のドライブはいい気分転換になった。

2018年6月7日木曜日

イライラが何か?


 落ち着かないのはなぜだろう?
 「今、ここ」が大事だと、岸見一郎さんもいっているのに、私はこんなことも実践できない。
 「やるか、やらないか」しかないとわかっているけどできないのは、私が大人になっていないということ。
 こんな歳になっても、大人げない。

2018年6月5日火曜日

次の不安


 再就職って面倒だ。
 履歴書も写真も。

 これがネックで、今までなーなーだったのが悪い。

 さっさと辞めればよかったと心から思う。

 さて、次はどうなるか。
 知り合いがいるのが決め手だったが、逆にやりにくさがある。
 されるがまま、言われたことをしていればいいかもしれないが、どうだろう。
 私自身の今後について、考えながら継続については考えようと思う。

 再々就職もあり!
 この気楽さが大事。

 写真も履歴書もまだあるもの。

悶々と・・・。


 悶々・・・。
 利益相反について・・・。
 夜勤してないのに月4回夜勤手当をもらう。
 もう7年以上前からって!

 本部の会長が許可してるかもしれないから・・・って。
 そういう人じゃないのを知っていて、それ言うの!

 全く、○○長の意味ない。
 自分の腹はいたくなければ、違反も見ぬふりですか。

 もっと早くに踏ん切りをつければよかったと今更ながらに思う。
 悔しい。
 自分の行動力に。

 本部に通うって、何しているかくらい皆に伝えてもいいのではないか?
 疑っているのも分からない?
 イヤ!わかっていても何も言わないから、無視か~。
 なんというか。
 欲の深さに完敗。

 

一言言わねば・・・って。


 「辞めるという話をしたときそれほど引き留めはなかった。」のは確かに感じた。
 それを正直に話した結果、「そういう受け取り方は不本意だ。」とクレームがついた。
 なんで?
 
 それ、言うこと?
 
 私は言わないけど。
 そこが違う。
 自分の思う通りに。なんでも口にする。

 やっぱりついてなんか行けない上司だ。

 そして自分自身も余分なことは言わないほうがいいと、改めて思った。
 どいつもこいつも!

 さて、有給届も書いたことだし、後4日失敗に気を付けよう。

2018年5月26日土曜日

自分が思うほどのものではない


 何年働いていても自分に代わる人はいる。
 私が思うほど現場に頼られることはない。
 だから、辞めることもまず自分のことが一番だ。

 1人にできることはそれほどもなく、経験に教えを乞う時代ではなくなった。

 昔は・・・と言ってしまいそうな自分を戒める言葉がある。
 再就職して挨拶をした日。
 経験を伝えたいと言った私に、師長は「ふーん、経験ね・・・」
 と言った。。
 ここは出る杭は打たれる場所だと思ったと同時に、思い上がった自分を恥じた。

2018年5月20日日曜日

息子がはまったサイコパス


 人を食い物にしても何も感じない人種がこの世界にはいる。
 サイコパスは近くにいて、獲物を狙っている。
 長男は月3万払って、用もない「短期ビジネスリテラシィプログラムっていうのにはまった。
 最初は株について教えてやると言われた。
 私は「ただで?」と聞いたら、「そう」と答えていたが、結局ローンを組まされた。
 信用を裏切られたのが認められない長男。

 研修にはほとんど行っていない。
 ただ3万払い続けている。

 総額27万。高い授業料だ。

 ネクストという。

2018年5月18日金曜日

若気の至り


 もう二十数年前の、今思い出しては悔やむこと。
 講習のまとめ役を男女でやることになり、嫌々ながらやった。
 相手の男性も多分嫌々だったと思う。
 講習が終わるときに講師に呼ばれ、別室でお疲れさまと言うことなのかお茶とお菓子を出された。
 ほかのチームのまとめ役もいた。
 こんな行事があることも知らなかったが、ほかのチームは講師に色紙や写真をプレゼントしていた。
 私たちは何も準備していなかった。
 申し訳なさと恥ずかしさで仏頂面になったしまった。
 本当に講師に申し訳なかった。
 講師室に帰った後の担当講師のことを考えたときに、なんてことをしたんだと思った。
 周りの組の情報もなく、同じまとめ役の男性とも相談しなかった。
 なぜこんなことになったのか。

 皆が考えていることは大体あっているというような表題の本があった?

 自分がいいと思うのでなくて、皆がいいと思うことをする。
 このことを最近は考えながら行動することに努めている。
 先日の選挙もそうした。
 
 

2018年5月14日月曜日

母の日


 1日遅れて母の日のプレゼントを持って行った。
 2日前に行ったときは、イライラした。
 母は片付けができない。
 紙がいっぱい。全部いると言い「私が死んだら全部焼いて」と言う。
 自分で片づける気がないことにげんなりする。

 ファイルにしまい込んだが、まだまだ終わらない。
 「誰がやるの?」と言うと、私を指さす。
 驚くわ!!

 と言うことで、実家に長居は無用だと、改めて思う。

ストレスを最小にすること


 先日会った友人に、「ストレスは癌になる」と言われ、退職もストレスがあるならした方がいいと言われ、決意した。
 今日は上司が休みだった。
 ストレスなく仕事が始められたため、必要なことをスタッフに伝えることもできた。
 いつもなら言わずに黙って、ストレスをためる場面だ。

 やっぱり、上司のストレスは大きかった。

2018年5月13日日曜日

気力


 どうも気力が出ない感じだ。
 実家に行っても、前向きな言葉を掛けられない。
 「私が死んだら全部焼いて」と言って片付けようとしない母にげんなりする。
 人任せ、子供任せにしようとする世代に腹が立つ。
 またもや、夫が家に来ないと言い、不満を言う。
 来たらどうするって、畑仕事をさせよ言うという魂胆が丸見えで、腹が立つ。

 今日はお茶会だったが、動けなかった。

 気力がない。

2018年5月6日日曜日

退職願い


 明日は期限。

 どうするか考えてと言われ、迷いも出た。
 慣れは侮れない、メリットの一つ。
 人間関係も見えないところで何言われているかはさておき、見えないもの聞こえないものに神経過敏にならないと決めていたから、どうってことない。
 
 それらのメリットを差し置いて、転職したいと思った理由を改めて考えたい。

 人としてどうなの?という上司の下で働くのが嫌なのだが、そんなこと若手が言うなら分かるが、この年で青臭いこと言ってるか?
 この現場で働ける時間はまだあるのかもしれないが、(実際70歳が働いている)考えながらの作業にはその人たちは当たっていない。
 業務をこなしている感じ。それでいいのかもしれないが、第一線から身を引くのならば違うところに行きたいと思う。
 なぜだろうか?
 できなくなることを周りに知られたくない?
 これからまだ働くとしたら、順応するための期間が必要と考える?
 現場にこだわりなんてなかったから、産休入りで辞めた。
 10年ブランクから、14年働いていても、キャリア的には何も上がらずにいて、今更できなくなる前にと言っている自分も情けない状態だ。
 勢いで辞める感じだが、それも必要かも。

 友人に、次の職場に期待はしないほうがいいと言われた。
 その通りだと思う。
 けれど、自己責任で行動したことだから、納得するしかない。
 だめなら、再チャレンジ。
 折れない心で頑張ろう。

友人に話


 30年来の友人に会う。
 
 愚痴ってしまう自分がいる。
 甘えてしまう自分がいる。

 甘えてもらっているだろうか?
 自分だけが甘えっきりの予感。

 考えを聞きたくなる信頼できる友人がいる幸せを想う。

涙そうそう


 NHKを見ていた。
 さんまさんのTVで、森山良子さんが歌詞について話した中で、亡くなったお兄さんのことを想って作った歌だが、26年かかったという。
 想いを口にしたり、言葉にするにも気持ちの整理が必要なのだと思った。

 こうして永遠に想いを残せる手段のある人たちはうらやましい。

2018年4月30日月曜日

24年の贅沢


 デイビット・アトキンソンさんの『新・生産性立国論』を読んで、私は2人の育児で専業主婦でいた10年と短時間パートでいた14年を振り返りつくづく贅沢な時間だったと思った。
 やろうと思えばできたことを避けてきた時間は今キャリアの差となって目の前にある。
 立場の違いは壁になり、忖度がまかり通る職場で、自分から離れる覚悟が遅かったのは、私の改革意識の低さであり、計算に弱い教養のなさであるが。
 
 今、覚悟を決めて職場を変えようと思っている。
 目先にだけとらわれることなく、生産性を上げられる人材になるための戦略を立てる。

 付加価値が今からつけられるかが、最大の不安材料だが、いつまで働けるかわからないからこそ努力を惜しまないようにしたい。

 前向きに自分の人生を生きたい。

2018年4月28日土曜日

マウンティング


 前にはやった言葉だが、あらゆるところに存在していて私の職場にもある。
 基本的に年上の人にタメ口をきく子はその要素があるように思う。
 人は平等という意識ではなく、「あなたを認めてはいない」という表明なのか。

 そういう子には結構気を付けて話していたが、昨日はひょいッと本音が出てしまった。
 そしたら途端にむっとした。
 分かりやすい。
 「自分が声かけてやったのに、何表情なんだよ」っていう感じ。
 だって、もう機嫌取る気にならないし!
 あと5日我慢すれば解放されるんだよー。

 もう1度考えてと言われても、考える材料がない。
 

2018年4月25日水曜日

退職届の提示


 昨晩は1時半まで時計をみた。
 眠れないなんて初めてかも。
 収まらない気持ちがこうも身体にかかわるとは!

 朝から伝えた。
 何となくスムーズに行きそうだったが、結局ゴールデンウイーク後まで、保留。
 あと半年やってくれないかを、考えてほしいとのこと。
 考えが変わらなかったらこのまま出してもいいとのことで、了解する。

 変わらないと思う。

 なんで?と言われて、はっきり言えなかった。
 まだしばらく勤務するのに、いじめられたら嫌だ。

 立場に違いは明らかで、非常に弱い立場の私だけれど、
 舐められたくはない。

 搾取されてばかりだった14年だった。
 時給は変わらない。ボーナスは寸志数千円があったりなかったり、なのに毎年出ているかのように恩をきせられる。
 イヤだイヤだ。

 今後転職がうまくいってもいかなくても、自己責任である。
 

2018年4月24日火曜日

怒りが収まらない


 怒りというものか?気持ちが収まらないというのをどう表すか?

 職場の待遇について、意見したい。
 同等というのに、?を出したが、やっぱり気持ちが収まらないというのがある。
 時給を100円あげるからいてほしいというのは、あがらないまま仕事をする方からしたら気分のいいものではない。
 上げられるんなら皆一律に上げるのが平等というのではないか。
 能力と言うのなら、馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。
 大変な時に私が変わっているのは何?
 若さなら、「はい、わかりました。辞めます。」だ。

 今日は、「ひと月の出勤時間で有給を換算するようになる。」とのこと。
 実家の用事で出勤できないでいるのは私なのだから、対象は私になる。
 はっきり言ってくれたほうがいい。
 管理職からしたら、休んでばかりいるのに有給ばかり使おうとすると考えたのだろう。

 14年の期間は換算されないのならば、長くいる意味はない。

 明日、退職願をだす。

2018年4月23日月曜日

雨漏り


 15日にリフォームした出窓から尋常でない雨漏りがあった。
 小さなたらいがいっぱいになった。

 壁紙からポタポタと連続で水滴が落ちてくる。
 夫が指を刺したら穴が開いた。

 放置できないほど。

 休日なので地元の店には頼めないので、ネットで調べて24時間営業の雨漏り修理に連絡し、昨日確認と見積もりに業者が来た。

 屋根は銅板が浮いてしまっていて、一部シリコンが塗られているとのこと、業務用でないシリコンなので、その部位はどうにもならない。そこ以外は塞いであるので、雨漏りの原因が屋根であればもう問題ないであろう。
 まだ雨漏りがあった場合は、場所の特定が困難で、時間もかかるとのこと。

 家の中の壁紙は剥ぎ取りみてみると、その業者さん曰く、「ふつう使わない材料が使われている、たぶんめんどくさいからだろう」とのことで、またもや『金指大工のぼったくり、および手抜き工事が明らかとなる‼』
 十数年前はこんなことが普通に行われていたんだ。
 見積もりは大体4万位だろうとのこと。
 高いのかどうかも分からないが。

 今じゃ考えられない。
 工事をした職人はいい加減だったけれど、クレームなんかつけることは考えられない時代だった。
 ということで、次の雨まで様子見となった。
 明日から雨だ。
 

あるべき姿を要求


 私は自分が考える『あるべき姿』を相手に要求するようだ。

 役割についてはかなり厳しい。
 
 今日は朝から実家に電話して、車を出すのか確認した。
 昨日のままではいられなかった。
 案の定連れて行ってほしいと母は言ったが、後ろでいいというように怒鳴る父の声。
 「怒られてるんだよ。」と母。
 
 きっと自分は行かないつもりで、母も行かせないのだろうと思うが、そのまま電話を切る。
 ばかばかしいと思う。
 プライドだけは高い。
 弱い人間だと思う。

 私は朝からマインドマップ方式で自分の本心を書き込んでいたが、行きつくところがない。なぜなら、覚悟がないから。自己責任で受け止める覚悟がない。
 しっぺ返しや罰が怖い。
 
 そんなことを考えながらいたら、ふと題のことが思い浮かんだ。
 完璧主義なのではなく、なりたい姿ではなくならなくてはいけないんじゃないかと自分が思う姿を相手に要求していると思った。

 本心とかけ離れた安心感のない姿を相手に背負わせているんじゃないか。
 自分は背負う覚悟もないのに。

 やりたくない、できないというのがわがままなら、一番わがままなのは自分だということを改めて思った。

2018年4月22日日曜日

実父の頑固


 「明日は仕事があるから、代わりに行ってくれ。」
 「仕事って何?」
 「畑でやることがいっぱいある。」と、眉間にしわを寄せる。

 言いたいことがあるが、すぐに言葉が思いつかない。

 行く先の用事に対して私は思う。
 「こっちも仕事じゃないのか?」

 母から電話で、1度は断ったが連れて行ってほしいという。
 腹立ちが収まらず、「こっちも仕事じゃないのか!」と、口に出る。

 何かが違う。
 やめることのできない事、避けられない事だから、こういう風にしか向かい合えない実父が許せない。
 「○○は可哀そうだ」というが、何が可哀そうなのか聞くと、実父の基準が恐ろしく偏っていて、腹が立ってくる。
 この人は何を基準にしているのか?と思う。
 私の長男に「勝ち組・負け組」と言う。そして、現場で働く長男は負け組で可哀そうだという。
 「あんただってそうじゃないか」と言ったことがあるが、理解できなかった様子だ。
 世の中がわかっているのか?人付き合いをしないのは、病気の後遺症で呂律が回りにくいからなのはわかるが、相手に素直に甘えたらいいと思う。
 馬鹿にされていると思うらしく、団体の旅行にもいかない。

 ありえないほど偏屈で、人に意見を聞かない。
 
 相手にしたくない人種だ。

 自分の好きなようにしたいのは誰だってあるが、ひどすぎて話もしたくなくなるのが本心だ。

 明日どうするのか?見ものだ。
 私の中で、どうにもできない気持ちが膨らんでくる。

2018年4月19日木曜日

思い通りにしたがる


 私の性分
 今日は求職活動を一つした。
 問い合わせだ。
 見事に断られた。

 午後から仕事がしたいというのはこちらからするといい条件である。
 なぜなら、今の職場もある程度続けられる。
 しかし、求めるほうはできるなら1日いてほしいのは当然だろう。
 まあ仕方ない。

 現在の職場をやめたいが、辞められない。
 まだ未練があるかも。
 14年の勤めているし、勝手知ったる環境に慣れきっている。
 言いたいこともまあ言える。
 
 なぜ転職したいかといえば、時間があるから。
 私自身やりたいこともない。
 趣味もないし、積極的に家を管理しようとも思わない。
 義母の家だから。

 じゃあ働くのが一番だけど、楽したい。
 今後長く働くとしたら、今の職場はきつい。
 緊張で半日が限度。
 

2018年4月16日月曜日

イライラの原因は?


 なんだかイライラする。
 攻撃的になるのはイライラするから。

 思い通りにならないから。

 次男の大学授業が始まった。
 昨日は教科書が届いたが、同じものが3冊、2冊。
 違う教科で使うものが同じという注意事項に、目を通さないまま注文したため。
 頭を使わないでいるからそんなことが起こる。
 無駄が嫌いな私はそこからイライラしている。

 大丈夫なのだろうか?

 履修科目もずっと考えていたが、わからないという。
 そのくせ奨学生だからと、周りよりできると主張する。
 不安だ。

 これで一人暮らしをしていたら、どうなっていたのだろうか?
 いちいち私に聞きに来ていた週末の様子は、とてもじゃないがおまかせとは程遠い。

 それでも、自分で解決していく根気はすごいと思う。


 

状況が読めない年寄り


 今日から職場検診開始。
 サクサクと進めたいのに邪魔する。
 喋っている事で、待つ人がいると想像できない。
 イライラする。

 想像力のなさにがっかりだが、自分は周りから尊重されて当たり前と思っているのが腹立たしいのだ。
 自分が一番先にやるのが当然のように、自分の仕事はそっちのけで検診を受けて、まだたくさんの人がやっていないということが考えられないって何?
 厳しいようだが、私はあなたが仕事をやらずに済ましていることを知っているから、我先にというのを許せない。

 年寄りを大事にするのが当たり前でも、仕事はやって下さい。
 給料はもらっているのだから。

2018年4月13日金曜日

同等


 仕事のキャリアとしてはブランク10年を抜かして、23年くらい。
 職場の若い同僚から見れば何の差もないのだろう。
 こちらからの見方とは違うとわかってはいるが、「居てくれればいい」と言われているのと、2年目で同じように言われないと不満を言われてもどう返せばいいのか分からない。

 一緒なのだろう。

 何も言わない。

2018年4月12日木曜日

おばさん


 間違いをごまかしてしまう。
 おばさん化。

 分かっているのに、相手もわかっているだろうに。
 なんでかな。

 素直にごめんなさいができることを目指していながら、ふとした瞬間にやってしまう。

 ダメだ、自信を失うばかり。
 疲れる。

 スローダウンをどう実現するか。
 
 落合陽一さんの日本再興戦略を読みながら、私はこれから死ぬまでをどう生きたらいいのか考える。
 士農工商の再考は今の自分の位置を確認しながら、洗脳されきった感覚を疑い続ける。

 自分はどう生きる。
 いつ死ぬかわからない今をどう生きることが、最愛の息子たちに感謝を伝える手段になるのか考える。

2018年4月11日水曜日

どうしたいかが大事


 分かっていても行動に移せないのはなぜか。
 どうしたらいいかわからないのか、できないのか、やりたくないのか?

 カタカナ的表示のほうが気持ちを表せる感覚。

 こうでなければならないとか、因習を破れないとか。
 出る杭は打たれる的な。
 打たれるのは嫌だとか。

 こんなものだ。
 できることは少ない。

 何かを始めるのはエネルギーが必要で、そのエネルギーは自分の中から出ないと誰かが出してくれるわけではなく、出してもらったエネルギーを使ったらまた同じこと。
 起業とかできたらいいけれど、ブルーオーシャンも自分のスキルも見つけられないのに
どうやるのか。

 生きるとは名を残すの事ではなく、未来に恩返しをすることだと松平俊子さんが言っている。
 そう考えると、自分が自分がと前に出ることがすべてではないと思えた。

 自分の周りを幸せにできたらそれが生きる意味なのかもしれないと。

2018年4月9日月曜日

やはりギリギリ


 転職したほうがいいと改めて思う。
 大勢で緊迫した中ではどうもついていけていないから。

 何か言われるわけではないが、周りを見ると進みが早いと感じる。
 ついていこうとは思わない。失敗が一番怖いから。

 正直に言うのがいいと思う。
 声高に声を上げるのも自分のレベルに自信がないから。
 そんなことないと言われるのを期待する自分もいるが、そういうことを期待して冷や水を掛けられたことを忘れてはいない。
 自分が思っているほど期待をされてもいないし、ましてやリスペクトされていると思ってはいけない。何となく勘違いしてしまう自分がいる。
 自覚をしっかり持たないと。
 現実を認識するんだぞ!

2018年4月8日日曜日

1つ年長になった


 誕生日を超えて年取った。
 何も変わらない。
 思慮深くもならないし、知恵もつかない。
 どうなることやら。

 転職もどうでもよくなってきた。
 メリットとデメリットを書き出したものを見直した。
 あんまり変わらない。
 デメリットも自分ではどうにもならないことで、こういうことはあきらめが肝心。

 管理職が気に入らない言っていっても、配慮してもらっていることには変わりない。
 それを見下していても、所詮独りよがりの強がりだと思う。
 悔しいけれど、自分がそこを目指してこなかったのだから、避けてきたのだし、楽をしてきたのだからあきらめるべきだと思う。
 それが当たり前なのだと思う。

 さて、転職宣言してきた私はどう出るべきか?
 また余計なことを口にした報いがきた。

2018年4月6日金曜日

自分の問題として


 次男が入学式を迎える。
 おめでとう。

 初めてスーツを着るにあたって、ネクタイの締め方を教えた。
 昨夕父親から教えられたが、うまくできない。
 分かっていたことだ。
 次男はすぐにできないことは予想できていたことなのに、前日まで試みなかったのは私の怠慢だった。
 なぜこういうことが起こるのか?
 私の問題として考えなければならない。
 めんどくさがりというのは私が自分を表す言葉として一番に上がると思っている。
 そこをどううまく回すかが知恵なのだが、できない。
 知恵がないのだろう。

 子供が小さいころから知識を集めるのが好きだった。
 新聞の記事を読んだり、切り抜いてファイルに入れたり、絵本を買ったり、本を読んだり。
 それを行動に起こすというのができないままだった。
 知識を知恵にできなかったのはひとえに自分のめんどくさがりが元凶だった。
 それがわかっていても行動できないのは、怠惰な自分を認めていないから。
 知っていることで満足しているだけだった。
 
 それではどうにもならないのに、そのことに気づけなかったのは、私の戦略性のなさと向上心のなさだと思う。
 自分だけで完結してしまっても何も残らないのだ。
 私が死んだ後も生きていく息子たちに伝えるべきは何なのか?
 自分の問題として考えて、行動することをしていこう。
 行動して、失敗したらそれも伝える。

2018年4月5日木曜日

最愛


 最愛の人という言葉をあまり意識してこなかった。
 私にとって誰なのかを改めて考えた。
 息子たちだ。

 次男の手相を見て、生命線が短いのが気になって気になって仕方がない。
 私は長い。
 手相は書き足せばいいと聞いたことがある。
 しかし、次男に短いから書き足そうとは言えない。
 見るたび切ない。

 私にとっては和也も最愛の人だったが、亡くなるまで認識できていなかった。
 両親もなくなったら同じ感覚になるのだろうか?
 喪失感は亡くなる前に感じることはできないと思う。
 想像してみても、実感がないから悲しみの深さはわからない。
 
 人がいなくなるというのは大きなことで、関係性やその人に対する気持ちの深さで周囲の人には想像できないほどの影響がある。
 そしてそれを乗り越えていくのは本人しかできないことだ。
 それはわかっているけれど・・・。

2018年4月4日水曜日

呼び出し


 昨日は昼頃に実家から電話があった。
 「なんだ仕事行ってないの?」と第一声にイラっとする。
 余計な一言の多さは親譲りだ。

 梅の剪定と耕運機を使って手伝ってほしいとのこと。
 父の呂律がまた回りにくくなっていると感じた。
 30分後に現地に行くと返事する。
 耕運機はなかなか重くて大変だった。
 梅のは剪定は説明がおおざっぱすぎて、よくわからないままだった。

 実家によると母がなばなをゆでていた。

 私の息子2人が可哀そうだと父が言っているという。
 何が可哀そうなのか?
 長男は介護の現場で大変な思いをしていると決めつけているように思う。
 大変じゃない仕事があるのか?
 『勝ち組』という言葉をよくいう父だが、自分ははっきり負け組で、何が勝ち組の定義なのかもわからないまま楽な仕事に就けない人は負け組だと思っているようだ。
 イラっとする。

緊張


 明日は大学の新入生オリエンテーション。
 緊張している様子。
 服はいつもと同じ

 ここから当日。
 昼に何言ってるかわからないとメールある。
 予測が当たったか?
 詰め込みが苦手だった小学校時代がよみがえる。
 落ち着いてすごしてほしい。

 夕方電車に乗っていて気分が悪くなったようで、途中駅のトイレにこもっているとメールがある。
 しばらくメールがなく心配になるが、何とか再び電車に乗って帰宅する。
 人いきれと座りっぱなしの時間がつらかったようだ。
 先日打った尾てい骨の痛みがまだ取れずにいるため、たぶんひびが入っているのだろう。様子観察しかないが、なかなかシップも張らないため常に痛みがあるのだと思う。

 今日はオリエンテーションの内容の見直しをするらしい。
 指導教官とうまくやってほしい。

2018年4月2日月曜日

何がしたいか


 実家に行くのも何かやらなきゃという気持ちからだけれど、どうも両親にはうまく伝わらない。
 そんなに来なくていいと言う。
 畑仕事を楽にしてやりたいという気持ちなのだけれど。
 仕事を休んできていると思うのか?
 
 私としては職場を変えたいがための作戦でもあるが、どうもうまくいきそうにないのは自分自身の迷いがあるのだろう。
 何が嫌なのかを考え続けているが、嫌なことを避けて通れない現状からどう解決策を生み出すかも見当たらない。
 やっぱり上に立つ人が嫌なのだから、違う場所に行くのも手だと思う。

 やめるために次の職場を見つけるか。
 勧められたところで働くのもいいが、もう少しスキルが使えるところが希望だ。
 介護オンリーでは面白くないかもと考えると、私は何がしたいか?に突き当たる。

 まず、もう少し長い時間働く。
 通勤をしたい。
 これが外せない条件だけなので、見つかりやすいと思ったが、見ていると色々考えてしまって決め手に欠ける。
 期間を区切って探したい。

2018年4月1日日曜日

回心

 
 自分はどうなのか?毎日考える。
 自分の軸に戻っているか?考える。
 
 軸があるのか?考えないと。
 今はないかな。

 以前もなかったが、弟が亡くなったことは理不尽で、信仰は無駄だと思えたから、毛が生えたような軸があったかもしれないが、それも消えている。

 人のために祈ることが、人を救うとTVで言っていた。
 あなたが私のために祈ってくれることが救いになるのか、私にはわからない。

 


片付け

 次男と共に雑紙の片付けをした。
 中学時代の教科書から高校時代の参考書まで、出るは出るは。

 進研ゼミのやっていないものがコラショと出てきて、これやっていたら違ったかもしれないけど・・・、後悔はないという。
 何故なら合格したからと。

 私がさせたかったものはことごとく無視だったと、思い出した。
 
 次男にはお金をかけた来なかったと思っていたが、ちょっと違うかも。
 自責の気持ちが小さくなった。
 無駄遣いしていたじゃないか。

 本人の自覚がないのか、強がりなのかは分からないが、なるようになっていくのかもしれない。

2018年3月28日水曜日

うそ

 出勤した。
 勤務表の上では休みだが、実家の手伝いも今日はないというので、次男の許可をもらって(これもおかしな話だが)出た。
 昨日の収穫物を持っていくと、思いのほか喜ばれた。

 実家の手伝いをするというのが嘘ではないと証明にもなった。
 しかし、実際は回数は少なく、私自身の中ではごまかしているように感じてしまっている。心苦しいような。

 行動しなければ。
 まずは動くというのが、当面の目標になる。

2018年3月27日火曜日

畑仕事

 前からのやることリストの一つ。
 実家の畑の場所を確認すること。

 やっとできた。
 草取りに行った。

 草取り鎌を折った。
 力の入れ方が違うのか!?

 実家の親の手伝いをするのが、やることリストの一つ。
 何かやっているほうが話ができるのかもしれないと思ったのが一つの理由。
 ただ実家に言って喋っていても、話が続かない。

 何かやりながらしゃべるというのがいいと思ったからだ。

 今後は私の都合でも行けるのが強い。
 

言わなくていいセリフ

 志望校に落ちて以来私も卑屈になっているが、次男は心配。
 受験前日に行った寮の案内人が余分なセリフで予言をしたような「入居希望者が皆落ちた」言葉は言の葉、次男が聞かなくてよかった。
 見学に行っていたらもッと傷は深かったかも知らない。
 
 私自身は次男が寮に入ったら旦那との暮らしにストレスを感じていたはずなのに、今次男の食事やら生活の世話にストレスがあって、そこは言わないのが親だろう!というセリフが口から出てしまう。
 親としての自覚が未だに足りないのか。

 食事の準備は特に。
 温かいものしか食べない次男に、温かい料理を出そうとしたら、私はずっと台所に立っていることになって、コース料理状態になっているのが現状。
 効率が悪い。

 じゃあどうしたらいいのか考えても、いい案は出てこない。

 知恵がない。

2018年3月24日土曜日

手書きしなくなった


 自分の本音はなかなか表出できない。
 日記なら書いてもいいと思っていたが、書いていると簡略化してしまう。
 こんなもんだったか?と思う反面もっと深く考えてたいと考えたらブログを思い出した。

 自分の情けない部分をもっと考えて考えて考えたら、何かが見つかるんじゃないかと思った。
 まだ見つからない。

 いつも内省している。

 いいことなのかはわからない。

 今朝もずっと考えて、2つ目の日記。

 次男に外出を勧めたが、瞬間断られた。
 懲りない私は考え考え攻めるものの、瞬殺。

 行きたくない、面倒、無駄と言う。

 機会を大事にしたほうがいいよと話すものの、「いい」と一喝された。

 私も花見の気分ではないが、今年を逃したら来年生きているかわからないとも思う。

 でも、今年は次男と一緒にがっかりを体の芯まで味わうのも大事なのかもしれないと思いついた。
 今私にできることを考えて考えて考える。

ケチったせい

 塾代をケチったせいで入試に失敗したのか。

 先日、次男が中学の同級生たちと集まったときに、センター試験の点数比べをしたらしい。
 進学校に進み、国立をけって慶応義塾大学に行く友人と世界史・政治経済の点数が拮抗していたらしく、有名進学塾に行っていたら東大にも行けたんじゃないかと言われたらしい。
 悶々と頭の隅に抱えていたことを指摘されたように感じて心が痛かった。

 実際に私も口では「塾に通ったら?」と言っていたが、自分でやるという次男に甘えていたように思うから。本当は行きたかったのかもしれないと思ったり、行けばよかったと思っているかもしれないと。

 塾はお金がかかるけれど、その後の人生が変わってくるのだから、賢い親はここでお金を使うのだと思う。
 それがなぜできないのか。

 ケチだから。

2018年3月23日金曜日

選択肢

 余裕はある。
 時間に。

 それは、考えていることが全く進まないから。
 午前中を使った実家の手伝いをするつもりが、今日もダラダラしている。
 なぜなら、実家の予定を勘定に入れていないから。
 自分勝手に行動しているから。
 そして、自分の思うままにしようとしているから。

 中途半端な知識で行動していて、技能もないのに一人前のふりをしている。
 オバサンなのに、依存している。

 次男と話し、「自宅から出ることは考えていない」という。
 大学選びからずっとその主張は変わらないが。
 それに対し私は、東京や他の地域の大学に行くことでレベルの高い勉強ができるのではないかと、不安になっていた。
 長男の時に高校から「もう少しレベルの高い学校を狙ったらどうか」と言われたにもかかわらず、「ここでいい」と言い切った覚えがある。
 長男は覚えていないようだが、私は違った形になったことを if と考える。
 
 で、次男には親のことを考えたりせず、自分の生きたいところに行けばいいと伝えたが、ここにいると言った。
 それが本音なのか疑っていた。
 両親のことを考えてくれる、実は優しい息子。

 志望校に落ちてしまい予定が変わってしまった。
 県内の違う大学に進学することになった。
 後期は受けなかったのは、同じ偏差値なら無理して遠くへ行かなくてもいいという。
 私は、4年後が心配になる。

 国立と私立で差ができてしまうのだったら、また if を考えてしまいそうだ。

 もう次男の言葉を信じ、地元に就職することを目標にして進んでいこう。

 

自分かわいい


 ほめられると図に乗ってしまうのは私だけではないけれど、それがいけないとわかっているのに避けられないのは、私が嫌。
 でもやってしまった。

 いやだなー。
 いやな奴だな。

 若いころは口が堅いと自負していたが、どうも最近口に出してしまう。
 自覚があって、口に出しながらも並行してダメじゃんと。
 瞬間で自己嫌悪。
 すべてを口にしてしまうわけではないが、自分としては情けないと落ち込む。

 どうしたらいいものか。
 喋らなければいいのかも。

 相手に感謝しながら、聞いてくれる話してくれることに感謝しながら毎日を過ごそうと思う。

 

 

2018年3月21日水曜日

4年ぶりに会う

 お互いの不幸があってから会うこともなかった友人を誘った。
 自分のひがみ根性との戦いに勝った。
 旦那さんが出世して年収が上がった友人に、羨ましさが先立って声がかけられず、そういう間に不幸が重なって、喪中はがきのやり取りだけになっていた。
 
 そんな中で、息子の受験失敗もあり、経験者でもある友人に話を聞きたくなったという自分勝手なきっかけだ。
 毒吐きの私はその友人に、あまり聞いていていい気持ちにならない言葉を口に出してしまっているのを自覚していたので、その点でも誘いにくかった。
 それども、誘ってよかった。
 寒くて自分だけなら外出するのをキャンセルしそうだったが、友人が車を出してくれた。
 私も成長したのか、自覚する中では嫌な言葉は吐かなかったと思う。
 
 楽しく過ごせて、のどが痛いような自覚があるほどおしゃべりした。

 相手もそうであった良いなと思う。

 

2018年3月19日月曜日

旅立ち

 
 高校卒業でそれぞれが違った道を行く。
 思い通りにいかなかった子もいるし、夢に向かってまだまだ頑張り続ける子もいる。
 息子は未だに後ろ向きだが、今いるところをいい場所を、来るべき場所にしてほしい。

 7人で記念写真。
 笑っている息子に気持ちが和らぐ。
 集合がかかったこの集まりに直前まで行かないと言っていたから。
 
 いい気になって私は最初から陽気に喋ってしまって、ダメ出しを食らう。
 どうもオバサン化がひどくて、周囲を見きれない。
 しかし、少し前に「甘えていいんじゃないか」と一連の私の言動に対し、このメンバー間での態度について助言を求めた折に、息子は言った。
 
 私はそういう人という認識が皆にあるが、息子としては受容内ということだろう。

 受け入れてくれる人たちに感謝を忘れない。
 これだけは肝に銘じたい。

 

2018年3月18日日曜日

自分も考え続ける

 彼岸祭行ってきた。
 寿司セットにおはぎセット、きんぴらごぼうと漬物がすでにテーブルにセットされていた。
 少し早く行ったがまだ遅いというのか?
 10分前にまだ来ないと言い出した、父。
 
 時間前の参列者がそろった。
 最後に来た叔母が「支度してあるよ」と伯父に言っていた。
 
 旦那に行く前、話した。
 俺も行こうか?と言ったから。
 私自身の親への不満があふれだしてしまった。

 自分の考え方も素直さには欠けるし、卑屈になっているが、どうバランスをとっていったらいいかも思案中。
 お互いがお互いを想い通りにしたいだけ。

 分別のある関係が肉親には無理なのかもしれない。
 

考え続ける

 面倒を見ることは相手をすることではない。
 そう言いたい。
 何でもかんでも自分たちの思うままに従わせたいという考え方の親に。

 畑仕事も「鍬をもって耕してくれれば」と言うが、結構命令っぽかったりする。
 以前私に「あんたが作ってくれればいい」と言い切った本音のように。
 身震いする。
 くそ婆と思う。

 80を超えた人間に考え方を変えろといったって、無理。
 分かっているが、こっちの本音だってある。

 数字の計算が得意で、暗算の苦手な人を見下す。
 そういうところが嫌い。

 16から11年くらい離れていたから、その間の報いが被さってきているように思い。
 毒親から離れたくて離れたら、離れた期間の分に利子がついてきた感じ。
 
 和也の母親への想いに共感できなかったまま今を過ごしているがどうにもこうにもあの親の考えに寄り添う気持ちに全くなれない。
 ドツボにはまった。

2018年3月17日土曜日

親の面倒をみるって言った。

 明日,彼岸祭をするのになぜ夫は来ないのか?
 母がまた言い出す、「和也の葬儀の時に出席者に夫がいった。」「こちらの親の面倒はみる」と。「なのになぜ来ないのか」と。
 あの年代の親たちは子供に面倒を見てもらうのが当たり前だと思っている。

 「私がこちらの親の面倒を見てないからだ。」はっきりいうが、また忘れて、自分の主張を繰り返すのだろう。いらだちしかない。
 面倒を見るってことはどういうことなのか。
 優しい声をかけて、訪問を頻回にして、外にも連れて行って、いろいろなことを代わりにやってあげる。
 多分のこれ以上を要求してくるだろう。
 そういう親だ。

 向こうの期待が高すぎて、ストレスしか感じない。
  


 

2018年3月16日金曜日

息子の一言に振り回される日々

 落ちちゃって可哀そうだという気持ちが大きくて、話している内容が聞き取れず、むやみに作り笑いをしていたら怒られた。
 多分、年のせいで聴力が落ちているんだと思う。
 しかし、親が年取ったって、口では言うけれど、認めたくないように思いから、反論はしない。
 内容がわからなかったと正直に言うのがよいか?
 そういう部分で難しいところがある次男。

 家は家族皆、AB型。
 それぞれ違う方向を向いているかもしれない。
 
 読書をしないので、休み中に何か、読んだことのないジャンルの本を読んだらいいよと勧めたが、拒否。
 だは、ローマ人の物語の続きを読めばいいと言ったら、そうだなと言ったまま知らんぷり。
 読書する姿を見せ続けているが、何の興味も見せない。

 

2018年3月15日木曜日

きっといい場所

 志望校に合格できず毎日自室で一人過ごす毎日。
 後期試験は受けなかった。

 家から離れて暮らすことへの不安が強いのか。
 これからに人生こういう選択でよかったのか?
 皆、親元離れて暮らすことが多い同級生をみて、私自身が息子の自立に邪魔をすることになっていないか?
 もっと励まして一人暮らしを進めたほうがよかったのではないか? 
 
 本人には「親のことを考えて選択しなくてもいい」と伝えたが、気持ちが優しくて周囲をよく見ている息子にプレッシャーがなかったのか?
 大いに考えられて、不安だ。

 和也が高校卒業の時に、高校の先生から大学進学を進められたときに父親が「小遣いをやるから家にいてくれ」といったことは和也の人生を大きく変えた。
 そんな父親に反感を抱いてきた私自身が、同じことになっているのではないかと思う。
 もっとたくさんの選択肢にの中で考えるべきだったのか。
 得意科目で受けられる大学はあったのに、まだ18歳の息子に任せてしまった事は、親としての義務の放棄だったと。
 
 しかし終わった受験を蒸し返すことは何にもならない。
 4年で取れなかったら、あと2年大学院に行けばいい。

 いまの家のいいところは、何とか学費が出せる経済力だけ。

2018年3月13日火曜日

だから荒野    桐野夏生

 家族を喪った方はどうなるのですか?

 ひと言で言うと、人にとても優しくなります。

 あなたは猛々しいです。それは、あなたには家族がいて、幸せな生活を送っておられるからです。そういう人は猛々しく見えます。でも、耐え難い悲しみを経験した人々はあなたとは違って優しい。そういう意味で、猛々しくみえた、と申し上げたのです。




 やはり、自分の本質は痛い目に遭ったことのない怖い物知らず。それ故の猛々しい女なのだろう。


 だいぶ前に読んで下書きだったけれど、まあこんな感想が自分自身だと思う。

悲しみは真の人生の始まり~内面の成長こそ 柳田邦男

 胸をかきむしらんばかりの苦しみ、悲しみを抱え、そこから逃げずに必死に生きようとするその人生そのものが『癒し』だと思う。


 現実を生きるってことは、格闘するくらい、つらいことでもある。
 けれど、格闘するうちに、前へ進んでいる自分に気づく。生きるためにもがくうちに、前へ進んでいく。自分を見つめながら日常の暮らしを大事にして生きていると、気が付けば、最後まで生き抜くことができた、とつながっていく。

和也日記

 「お母さん胸が苦しい」
 これが最後の言葉だったらしい。

 らしいというわけは、俺は死んだから自覚できないんだ。
 ただそれだけのこと。

 どんなにこの言葉を言いたかったか。
 「お母さん」言えなかった。ずっと言えなかった。
 この世で最後の言葉がやっと言えた言葉なんて皮肉なもんだな。

 家の離れに住んでいた俺は、風呂と朝飯夕飯にしか母屋には行かなかった。
 行かずに済んでいたのは日常としては楽だったが、精神的にはきつかった。
 父親と母親とどう関わっていいかわからずに過ごしてしまったからな。
 姉貴は勝手気ままに家を出て、今じゃ2人の息子に振り回されている。
 俺はもっと関わりたかったんだよな、甥っ子たちに。
 何を遠慮してるんだか、俺のことが怖いんだか、姉貴は黙っちゃう。
 話しかけてくれなきゃ。
 分かってないままだった。
 
 俺の本心が全く伝わらないままで、勝手に怖がって、避けようとしているのが
丸わかりなんだよな。
 卑屈になっている感じ。
 姉弟だって、分かり合えるわけないんだよ。
 思いやってくれてるんだろうが、ピント外れ。
 言いたいことがあったら言ってくれたらよかった。
 それでも、入院した時はすぐに来てくれたんだよな。
 ケーキいっぱい持って。
 腹減っていたから全部食べちゃったけれど、よかったのかな?
 困ったときは使えそうで、少しうれしかった。
 

気持ちの整理

 不合格と言っても目的の教師になりための学部には合格しているわけで、
今後の活躍が期待されるわけです。
 大学院に目標だったところにいくのもいいし。
 高1の時に赤点だった英語をここまで上げてきた努力を続けることで、伸びしろがまだまだある現在地から大きく化けることができる。そのために親は進学資金をためる。
 私にできることを今頑張る。
 
 同級生が〇大に合格して、顔を合わせなければならないが、いじけることはない。
 これからが大事。
 これをまず親が自覚して。
 伝染させねば。

 今日、高校から電話。
 卒業生と語る会の話。断ったらしい。
 気持ちは分かるから、何も言わず。
 先生との距離は難しい。

 受験前に国語の教師の指導はほとんどなかった。
 行方が分からず、職員室に行ってもいなかったらしいが、自分のクラスの生徒の指導を優先したでのではないかと、疑う。卑怯だ。
 結局特進クラスを断ったことがこういうことになったのかと思う。

 普通クラスでひとりで頑張った息子と強い意志は評価に値する。

 

2018年3月7日水曜日

残念ながら不合格

 〇大生になりたかっただろう。
 粛々と時間がたっていく。
 何もできないでいる。
 当人はゲームをやってただ時間をやり過ごしているようにみえる。
 前期試験の帰り道、3人に2人は落ちるのだからと言い合ったが、実際は期待もあったし、私は大丈夫と感じていたのだが、甘かった。
 すでに奨学生入試で合格をしていた大学に決めたが、そこが決まってからの2か月が何のためだったのかと言う。
 努力は嘘をつく、でも無駄にはならない・・・か。
 嘘は嫌だなぁ。

 只々切なく、時間は経つが気持ちがついていかない。
 友人が東大の合格発表を待っているらしく、この差に愕然としているらしい。
 地頭の良さが際立つ友人ばかりで、コンプレックスを感じずには居られないのだろうが、親にとっては何よりも大切で、何よりも今の息子が自慢なのだが。
 同じコンプレックスを感じてしまう私が、どんな言葉をかけたらいいのか。
 悶々とし、ふとした瞬間に不憫に思ってしまうこのネガティブな私自身が変わらないと。
 変えていくのは自分自身。
 ビジョンに向かって、行動あるのみ。
 応援するのみ。

2018年3月2日金曜日

卒業 まだ合格待ち

 3月1日、無事にというか当然のこととして、高校卒業した。
 最近は、粛々と子離れ、親離れが進み、なんだか淋しい。
 私自身が子供たちに依存していることを、感じさせられ、自立を妨げていたんだろうと
申し訳なく思う。
 初めてのことが苦手な息子にしてしまった。
 後悔しないように過ごすことが今の座右の銘だから、自分のことは横に置き、言動をしていくべきだろう。
 今朝はお弁当もなく(最終日も忘れた。)どんどん忘れていくのだろう。
 楽しかった時間も。
 この幸せな時間はどんどん変化して、あの頃が一番良かったなんて言うようになって、
じゃあ今は?今もこうして傍にいてくれる時間を大事にしなければ。
 時間を大事にするってどういうこと?
 結局自分がしたいようにしてしまう私自身のエゴが先立ってしまう。
 どうなってほしいとか、こうしたいっていうのは、自分の品性の問題なのかもしれない
 自分がグルメではないことを自覚して行列のできる店とか、評判の店に行かない自分を
許容できた。
 次はどう自分を自覚して変えていくか。

2018年2月13日火曜日

息子の自立

次男が大学受験で毎日が緊張。
忘れてはいけないことが頭の中で復唱を繰り返す。
なんと効率の悪い時間を過ごしているのかと思う。

頑張っているからこそ、応援しているが、私自身がわかっていないようだ。
受験生の心理や状況を。

子離れがこんなに切ないとは。
長男の時もあれよあれよという間に居なくなった。
もう1年経とうとしている。
戻ってこないかもしれないのに、のほほんと送り出した自分が空しい。
居なくなった部屋にはまだ荷物がぎっしりだ。
片付けられずに1年経った。

どうするつもりなのだろう。私。

今度は次男。
どうなってしまうのだろう。
この家。

旦那と2人なんて。
虚しい。

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...