2015年10月8日木曜日

たった一人の熱狂 

 見城徹さんの本
 『憂鬱でなければ仕事じゃない』から3冊ほど人生論的に読んでいる。
 私は、スピードが関係する職種でないので、実際のビジネス現場では実践できないのが残念。

 それでも、人間的に魅力的だと思う。
 気になる章からというので、切なさ・・・という章から読み始めた。
 できたら〈喪失についての意見がききたい。〉

 「君がなんとなく生きた今日は、昨日死んだ人たちがどうしても生きたかった大切な明日だ。」
 弟が突然死んでしまった私にとっては、生きていてほしかった人の大切な明日でもあり、本人にとっては生きていると疑わなかった明日だ。

 生きている人間には責任があるのだと感じた。
 生きることは大変だ。
 生き抜くことが、この世に生まれた人間の責務なのだ。
 「小さく生きて、小さく死んで行く。誠実に生きて、誠実に自分の運命を引き受けて死んで行く。」という文章には、弟の死にざまが思い起こされて涙が出た。

 見城さんが755というサイトで発信した言葉を再構成した本だということだ。
 こんなサイトがある情報は私には入ってこない。
 情報取りのアンテナの多角性はどうしたらいいのだろうか?
 つながりの多角化もネット検索時間に比例してしまう世の中になっている?
 
 今日を大切に生きるヒントや実践がたくさん入っていて、大学生と高校生の息子に読ませたい。


 

 

2015年6月21日日曜日

絶唱および持たざる者


 湊かなえさんおよび、金原ひとみさんのほん。

 それぞれ阪神淡路大震災、東日本大震災の影響を受けているのかと思ったが、
読者として読み込みの甘さを実感している。

 登場人物の変わっていく章を同じ風に思ったが、絶唱については5年もの月日を費やしたとのこと。
 湊さんの出演したTVを偶然見て、前日に読み終わった本について語っていて驚いた。
 主人公を支えてくれた人にモデルがあったとのこと。
 書くためのきっかけを作ってくれた人がいたということ。
 その人が完成前に亡くなってしまったとのこと。
 切ない想いは、直に感謝と完成を伝えられなかったという事実について。
 それでも伝えられる何かを伝えるべく前向きに進む、湊さんの姿に共感する。
 私にとっての弟の死という別れも、こんな風に自分の意志として行動に結びつけることができたらどんなにいいだろうか。


 持たざる者。
 人間は自分の意志で責任を取る覚悟を持った時に強くなれるのだと教えてもらった。
 それぞれの登場人物の弱さも、責任と自覚のなさからくる。
 自分と重なる描写にどきっとした。

 言葉だけでなく、イメージを広げさせてもらいました。

火花


芥川賞の候補になった。
すごい。


「世間を無視することは人にやさしくない」
この言葉が又吉さんの本質ではないかと感じ、少し見方を変えた。

NHKの経済学番組の姿を毎週見ていると、物事に真摯に向かおうとする感覚がいいと思う。

静かなリズムの中で、響く重厚な音という感じ。

王道を行く人々だけが道を作るのではなく、小さな石ころにしか思われない市井の人々の存在こそが枝葉を本筋にしていくのだとエールを送ってくれているように感じて読み終わった。

存在意義。
多くの名もなき人々は何を残せるのか。
弟の生きたあかしをどうしたら残せるのだろうか。

2015年6月1日月曜日

永い言い訳


 西川美和さんの本

 「愛すべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくない」の文章にうなずく。

 弟を亡くしてからの日々はこの言葉通りの日々だった。
 けれど私は弟を想って泣ける。
 主人公とは違う。

 後悔先に立たず。
 生きていれば身近な誰かを亡くす。別れが突然来ることもある。
 生きていることの条理を他人事にしか感じていなかった自分の鈍感さに驚く。

 人の人生は1日で変わってしまう。終わってしまう。
 予想できない。
 喪失の感情はうまく言葉に出来ず、誰かの言葉を捜しつづけている。
 そうなんだと思う言葉に出会っては涙を流す日々はまだつづいている。

 登場人物の年代だったころの弟がふと思い起こされた。
 私が中3の時弟は中1で、隣の教室だった。
 廊下でクラスメートと騒ぐ私を身体を傾げて見ていた弟の姿が脳裏に焼き付いている。
 その後私は家を離れたので、中2から成人するまで弟と一緒に住むことはなかった。

 私が離れている間に実家では様々なことが起こっていたが、私は知りもしなかった。
 私が家を離れたせいで弟は家を離れられなかったようだ。
 それが私には弟への引け目を感じさせていた。

 たった2人の兄弟なのに他人以上に他人行儀だった。
 声を掛けられなかった。

 切ない。

 

2015年5月19日火曜日

月命日

 何回目の月命日か。
 来月は誕生日がある。
 この世で迎えられなかった、50歳。

 弟がなくなってから、新聞のお悔み欄に目が行く。
 今日も5人載っていたが、皆80歳以上だった。

 後悔を背負って生きていく。
 これからの私の人生はそういう人生。
 今まで挽回できると思っていたけれど、そういう機会は訪れないことがあると思い知った。

 先日のTVで、瀬戸内寂聴さんが「長く生きることは、大事な人が亡くなっていくという悲しい事柄に向き合わなければいけない」というようなことを言っていた。
 多くの体験は人の理解を深めてくれるとも。

 私は自分の悲しみから抜け出せず、人に共感するところまでいけない。
 切ないとは思っても、やはり自分の後悔に苛まれ続ける。

 この世という言葉をよく想う。

 この世では絶対会えない弟。

 あの世で会うまで待っていてくれるのか。
 早く生まれ変わって、この世で逢えたら・・・。

 これからどう生きたらいいのか解らないでいる。

 休みの日に出かけられない。
 弟は毎週出かけていた。
 生き急いでいたように。
 でも、外国には行ったことはなかった。
 弟の部屋の日本地図には今まで行ったルートが記されている。
 日本中2,3周したと母は言っていたが、広い世界に連れて行ってやりたかった。
 パスポートの写真が見たかった。
 弟の残した花や景色の写真を見ながら、PCでまとめる作業を手伝うことくらい出来たのにと思う。。

2015年5月4日月曜日

花燃ゆを見ていて感じた自分の気持ち

 自由になったと思わんか?
 そんな風に思った気がした。

 弟がなくなったとき、アンビューマスクを押され、心マッサージをされていた弟が、帰ってこないと確信してしまった瞬間、私は弟の苦悩を思いそう自分が勝手に考えた。
 勝手な考えだと今思う。
 
 理解のある姉でありたかったけれど、本心も聞き出せない浅はかな姉でしかなかった。

 NHKの番組で直指庵を詣でる人たちの苦悩を書いたノートの内容の中に一瞬出た「もっと話したかった、姉さんと」という書き込みに胸を突かれる思いだった。

 そうなんだ、もっと話したかっただけなんだ。
 私の後悔はそれに尽きる。

 わかったふりをし続けて、何もわからないまま会えなくなった。
 馬鹿な姉だ。それだけだ。

2015年4月5日日曜日

気持ちがフラッシュバックする

 あの時の判断は独断的だったのかもしれないと、急に思った。
 もうやめてくださいと発した自分の声は、本当に自分の想いだったのかと不安になった。
 母にも父にも意見を求めず、医療者側の考えを代弁してしまったのではないか。
 もう戻ってこないととっさに判断してしまった。

 本当に心電図はフラットだったのか?
 呼吸をしていなかったのか?
 今となっては思い出すことさえできない。

 あきらめるのが早すぎたのではないか?
 でも、医療者側の必死さはもう感じられなかった。
 疲れ切った雰囲気の中で、弟の目はうっすらと開かれているように見え、
 肉体を痛めるのが不憫に思えたのかもしれない。

 それでも、こうして受け入れられず、あきらめきれずに今も
 どうしてと自問している。

2015年2月3日火曜日

晴れない心

 
 こんなに気持ちの切り替えができないでいていいものなんだろうか。
 自分でも、理由を知りたいと考える。
 何かを始めようとしても、あと一歩が踏み出せない。

 実家通いも限界。
 合わない母親のすがりつく雰囲気に、気持ちが冷える。
 なんて冷たい娘なんだろうと気持ちが落ちる。

 この繰り返し。
 越えなければいけない問題なのだろうか。
 そのままにスルーを試みていた自分を感じる。

 自分の思うままにしようとする母。
 その母が年老いてもまだ私は苦しいまま。
 人は変わらないから自分が受け止め方を変えようと思うが、
 私も年を取り凝り固まった考えがそれを邪魔する。

 声を荒げて訴えるが、声に反論し、内容が届かない。
 「そんな言い方するな。」
 の言葉に次の一言は出ない。

 「あんたなんて嫌い。」と言ってしまいたい。
 
 それでも、弟のことを思うと
 やさしい娘を演じなければならないと、自分に言い聞かせる。

 乗り越えられそうにもない現実にどう向き合えばいいのか。
 

2015年1月19日月曜日

とうとう超えてしまった


 1年前のこの時間にはもうこの世には存在していなくなっていた。
 弟の死亡宣告の時間が過ぎた。

今日は命日


 とうとう1年が経った。

 やるせない想いは変わらず、後悔ばかりが頭に浮かぶ。
 昨日の8時までは、「1年前は生きていた」けれど、実質心停止したであろう8時からは
弟の1年前のこの世の姿がなくなった。
 切なくて、苦しかった。

 1年前のこの時間はもう静岡に出発していただろう。
 シャガールの絵画展を観て、雪山に登る装備を購入しに行くのだろう。
 値札のついたままのものが、この世での弟のこれからへの希望が想われて悲しかった。

 突然の死は胸を焦がす。

 弟のいなくなった部屋に入って、突然不在になった日々を過ごした空間に、「どうしてこんなことになったのか」どこに聞いても出ない答えを探す日々が始まった。
 今も続く。

 命日のこの日、私はどう過ごしたらいいのか。
 お墓参りをして、実家に行き、弟を偲ぶ。
 親の前で素直に泣くことができないのは、自分自身の問題だが。
 悲しむ親にやさしい言葉も掛けられない自分は、弟の想いを未だ継げないでいる。


 弟が頼りだった。
 大好きだった。
 かわいかった。

 話のできないまま逝ってしまった。
 弟の培ってきた知識を残してやりたかった。
 

2015年1月12日月曜日

1年たってしまった

 
 まだ弟の話はできない。
 だから、何も変わらず想うだけ。


 写真の前の花を枯らさない事と引き継いだ車を汚したままにしない事だけ。
 私がこの1年続けられたこと。

 

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...