2018年3月28日水曜日

うそ

 出勤した。
 勤務表の上では休みだが、実家の手伝いも今日はないというので、次男の許可をもらって(これもおかしな話だが)出た。
 昨日の収穫物を持っていくと、思いのほか喜ばれた。

 実家の手伝いをするというのが嘘ではないと証明にもなった。
 しかし、実際は回数は少なく、私自身の中ではごまかしているように感じてしまっている。心苦しいような。

 行動しなければ。
 まずは動くというのが、当面の目標になる。

2018年3月27日火曜日

畑仕事

 前からのやることリストの一つ。
 実家の畑の場所を確認すること。

 やっとできた。
 草取りに行った。

 草取り鎌を折った。
 力の入れ方が違うのか!?

 実家の親の手伝いをするのが、やることリストの一つ。
 何かやっているほうが話ができるのかもしれないと思ったのが一つの理由。
 ただ実家に言って喋っていても、話が続かない。

 何かやりながらしゃべるというのがいいと思ったからだ。

 今後は私の都合でも行けるのが強い。
 

言わなくていいセリフ

 志望校に落ちて以来私も卑屈になっているが、次男は心配。
 受験前日に行った寮の案内人が余分なセリフで予言をしたような「入居希望者が皆落ちた」言葉は言の葉、次男が聞かなくてよかった。
 見学に行っていたらもッと傷は深かったかも知らない。
 
 私自身は次男が寮に入ったら旦那との暮らしにストレスを感じていたはずなのに、今次男の食事やら生活の世話にストレスがあって、そこは言わないのが親だろう!というセリフが口から出てしまう。
 親としての自覚が未だに足りないのか。

 食事の準備は特に。
 温かいものしか食べない次男に、温かい料理を出そうとしたら、私はずっと台所に立っていることになって、コース料理状態になっているのが現状。
 効率が悪い。

 じゃあどうしたらいいのか考えても、いい案は出てこない。

 知恵がない。

2018年3月24日土曜日

手書きしなくなった


 自分の本音はなかなか表出できない。
 日記なら書いてもいいと思っていたが、書いていると簡略化してしまう。
 こんなもんだったか?と思う反面もっと深く考えてたいと考えたらブログを思い出した。

 自分の情けない部分をもっと考えて考えて考えたら、何かが見つかるんじゃないかと思った。
 まだ見つからない。

 いつも内省している。

 いいことなのかはわからない。

 今朝もずっと考えて、2つ目の日記。

 次男に外出を勧めたが、瞬間断られた。
 懲りない私は考え考え攻めるものの、瞬殺。

 行きたくない、面倒、無駄と言う。

 機会を大事にしたほうがいいよと話すものの、「いい」と一喝された。

 私も花見の気分ではないが、今年を逃したら来年生きているかわからないとも思う。

 でも、今年は次男と一緒にがっかりを体の芯まで味わうのも大事なのかもしれないと思いついた。
 今私にできることを考えて考えて考える。

ケチったせい

 塾代をケチったせいで入試に失敗したのか。

 先日、次男が中学の同級生たちと集まったときに、センター試験の点数比べをしたらしい。
 進学校に進み、国立をけって慶応義塾大学に行く友人と世界史・政治経済の点数が拮抗していたらしく、有名進学塾に行っていたら東大にも行けたんじゃないかと言われたらしい。
 悶々と頭の隅に抱えていたことを指摘されたように感じて心が痛かった。

 実際に私も口では「塾に通ったら?」と言っていたが、自分でやるという次男に甘えていたように思うから。本当は行きたかったのかもしれないと思ったり、行けばよかったと思っているかもしれないと。

 塾はお金がかかるけれど、その後の人生が変わってくるのだから、賢い親はここでお金を使うのだと思う。
 それがなぜできないのか。

 ケチだから。

2018年3月23日金曜日

選択肢

 余裕はある。
 時間に。

 それは、考えていることが全く進まないから。
 午前中を使った実家の手伝いをするつもりが、今日もダラダラしている。
 なぜなら、実家の予定を勘定に入れていないから。
 自分勝手に行動しているから。
 そして、自分の思うままにしようとしているから。

 中途半端な知識で行動していて、技能もないのに一人前のふりをしている。
 オバサンなのに、依存している。

 次男と話し、「自宅から出ることは考えていない」という。
 大学選びからずっとその主張は変わらないが。
 それに対し私は、東京や他の地域の大学に行くことでレベルの高い勉強ができるのではないかと、不安になっていた。
 長男の時に高校から「もう少しレベルの高い学校を狙ったらどうか」と言われたにもかかわらず、「ここでいい」と言い切った覚えがある。
 長男は覚えていないようだが、私は違った形になったことを if と考える。
 
 で、次男には親のことを考えたりせず、自分の生きたいところに行けばいいと伝えたが、ここにいると言った。
 それが本音なのか疑っていた。
 両親のことを考えてくれる、実は優しい息子。

 志望校に落ちてしまい予定が変わってしまった。
 県内の違う大学に進学することになった。
 後期は受けなかったのは、同じ偏差値なら無理して遠くへ行かなくてもいいという。
 私は、4年後が心配になる。

 国立と私立で差ができてしまうのだったら、また if を考えてしまいそうだ。

 もう次男の言葉を信じ、地元に就職することを目標にして進んでいこう。

 

自分かわいい


 ほめられると図に乗ってしまうのは私だけではないけれど、それがいけないとわかっているのに避けられないのは、私が嫌。
 でもやってしまった。

 いやだなー。
 いやな奴だな。

 若いころは口が堅いと自負していたが、どうも最近口に出してしまう。
 自覚があって、口に出しながらも並行してダメじゃんと。
 瞬間で自己嫌悪。
 すべてを口にしてしまうわけではないが、自分としては情けないと落ち込む。

 どうしたらいいものか。
 喋らなければいいのかも。

 相手に感謝しながら、聞いてくれる話してくれることに感謝しながら毎日を過ごそうと思う。

 

 

2018年3月21日水曜日

4年ぶりに会う

 お互いの不幸があってから会うこともなかった友人を誘った。
 自分のひがみ根性との戦いに勝った。
 旦那さんが出世して年収が上がった友人に、羨ましさが先立って声がかけられず、そういう間に不幸が重なって、喪中はがきのやり取りだけになっていた。
 
 そんな中で、息子の受験失敗もあり、経験者でもある友人に話を聞きたくなったという自分勝手なきっかけだ。
 毒吐きの私はその友人に、あまり聞いていていい気持ちにならない言葉を口に出してしまっているのを自覚していたので、その点でも誘いにくかった。
 それども、誘ってよかった。
 寒くて自分だけなら外出するのをキャンセルしそうだったが、友人が車を出してくれた。
 私も成長したのか、自覚する中では嫌な言葉は吐かなかったと思う。
 
 楽しく過ごせて、のどが痛いような自覚があるほどおしゃべりした。

 相手もそうであった良いなと思う。

 

2018年3月19日月曜日

旅立ち

 
 高校卒業でそれぞれが違った道を行く。
 思い通りにいかなかった子もいるし、夢に向かってまだまだ頑張り続ける子もいる。
 息子は未だに後ろ向きだが、今いるところをいい場所を、来るべき場所にしてほしい。

 7人で記念写真。
 笑っている息子に気持ちが和らぐ。
 集合がかかったこの集まりに直前まで行かないと言っていたから。
 
 いい気になって私は最初から陽気に喋ってしまって、ダメ出しを食らう。
 どうもオバサン化がひどくて、周囲を見きれない。
 しかし、少し前に「甘えていいんじゃないか」と一連の私の言動に対し、このメンバー間での態度について助言を求めた折に、息子は言った。
 
 私はそういう人という認識が皆にあるが、息子としては受容内ということだろう。

 受け入れてくれる人たちに感謝を忘れない。
 これだけは肝に銘じたい。

 

2018年3月18日日曜日

自分も考え続ける

 彼岸祭行ってきた。
 寿司セットにおはぎセット、きんぴらごぼうと漬物がすでにテーブルにセットされていた。
 少し早く行ったがまだ遅いというのか?
 10分前にまだ来ないと言い出した、父。
 
 時間前の参列者がそろった。
 最後に来た叔母が「支度してあるよ」と伯父に言っていた。
 
 旦那に行く前、話した。
 俺も行こうか?と言ったから。
 私自身の親への不満があふれだしてしまった。

 自分の考え方も素直さには欠けるし、卑屈になっているが、どうバランスをとっていったらいいかも思案中。
 お互いがお互いを想い通りにしたいだけ。

 分別のある関係が肉親には無理なのかもしれない。
 

考え続ける

 面倒を見ることは相手をすることではない。
 そう言いたい。
 何でもかんでも自分たちの思うままに従わせたいという考え方の親に。

 畑仕事も「鍬をもって耕してくれれば」と言うが、結構命令っぽかったりする。
 以前私に「あんたが作ってくれればいい」と言い切った本音のように。
 身震いする。
 くそ婆と思う。

 80を超えた人間に考え方を変えろといったって、無理。
 分かっているが、こっちの本音だってある。

 数字の計算が得意で、暗算の苦手な人を見下す。
 そういうところが嫌い。

 16から11年くらい離れていたから、その間の報いが被さってきているように思い。
 毒親から離れたくて離れたら、離れた期間の分に利子がついてきた感じ。
 
 和也の母親への想いに共感できなかったまま今を過ごしているがどうにもこうにもあの親の考えに寄り添う気持ちに全くなれない。
 ドツボにはまった。

2018年3月17日土曜日

親の面倒をみるって言った。

 明日,彼岸祭をするのになぜ夫は来ないのか?
 母がまた言い出す、「和也の葬儀の時に出席者に夫がいった。」「こちらの親の面倒はみる」と。「なのになぜ来ないのか」と。
 あの年代の親たちは子供に面倒を見てもらうのが当たり前だと思っている。

 「私がこちらの親の面倒を見てないからだ。」はっきりいうが、また忘れて、自分の主張を繰り返すのだろう。いらだちしかない。
 面倒を見るってことはどういうことなのか。
 優しい声をかけて、訪問を頻回にして、外にも連れて行って、いろいろなことを代わりにやってあげる。
 多分のこれ以上を要求してくるだろう。
 そういう親だ。

 向こうの期待が高すぎて、ストレスしか感じない。
  


 

2018年3月16日金曜日

息子の一言に振り回される日々

 落ちちゃって可哀そうだという気持ちが大きくて、話している内容が聞き取れず、むやみに作り笑いをしていたら怒られた。
 多分、年のせいで聴力が落ちているんだと思う。
 しかし、親が年取ったって、口では言うけれど、認めたくないように思いから、反論はしない。
 内容がわからなかったと正直に言うのがよいか?
 そういう部分で難しいところがある次男。

 家は家族皆、AB型。
 それぞれ違う方向を向いているかもしれない。
 
 読書をしないので、休み中に何か、読んだことのないジャンルの本を読んだらいいよと勧めたが、拒否。
 だは、ローマ人の物語の続きを読めばいいと言ったら、そうだなと言ったまま知らんぷり。
 読書する姿を見せ続けているが、何の興味も見せない。

 

2018年3月15日木曜日

きっといい場所

 志望校に合格できず毎日自室で一人過ごす毎日。
 後期試験は受けなかった。

 家から離れて暮らすことへの不安が強いのか。
 これからに人生こういう選択でよかったのか?
 皆、親元離れて暮らすことが多い同級生をみて、私自身が息子の自立に邪魔をすることになっていないか?
 もっと励まして一人暮らしを進めたほうがよかったのではないか? 
 
 本人には「親のことを考えて選択しなくてもいい」と伝えたが、気持ちが優しくて周囲をよく見ている息子にプレッシャーがなかったのか?
 大いに考えられて、不安だ。

 和也が高校卒業の時に、高校の先生から大学進学を進められたときに父親が「小遣いをやるから家にいてくれ」といったことは和也の人生を大きく変えた。
 そんな父親に反感を抱いてきた私自身が、同じことになっているのではないかと思う。
 もっとたくさんの選択肢にの中で考えるべきだったのか。
 得意科目で受けられる大学はあったのに、まだ18歳の息子に任せてしまった事は、親としての義務の放棄だったと。
 
 しかし終わった受験を蒸し返すことは何にもならない。
 4年で取れなかったら、あと2年大学院に行けばいい。

 いまの家のいいところは、何とか学費が出せる経済力だけ。

2018年3月13日火曜日

だから荒野    桐野夏生

 家族を喪った方はどうなるのですか?

 ひと言で言うと、人にとても優しくなります。

 あなたは猛々しいです。それは、あなたには家族がいて、幸せな生活を送っておられるからです。そういう人は猛々しく見えます。でも、耐え難い悲しみを経験した人々はあなたとは違って優しい。そういう意味で、猛々しくみえた、と申し上げたのです。




 やはり、自分の本質は痛い目に遭ったことのない怖い物知らず。それ故の猛々しい女なのだろう。


 だいぶ前に読んで下書きだったけれど、まあこんな感想が自分自身だと思う。

悲しみは真の人生の始まり~内面の成長こそ 柳田邦男

 胸をかきむしらんばかりの苦しみ、悲しみを抱え、そこから逃げずに必死に生きようとするその人生そのものが『癒し』だと思う。


 現実を生きるってことは、格闘するくらい、つらいことでもある。
 けれど、格闘するうちに、前へ進んでいる自分に気づく。生きるためにもがくうちに、前へ進んでいく。自分を見つめながら日常の暮らしを大事にして生きていると、気が付けば、最後まで生き抜くことができた、とつながっていく。

和也日記

 「お母さん胸が苦しい」
 これが最後の言葉だったらしい。

 らしいというわけは、俺は死んだから自覚できないんだ。
 ただそれだけのこと。

 どんなにこの言葉を言いたかったか。
 「お母さん」言えなかった。ずっと言えなかった。
 この世で最後の言葉がやっと言えた言葉なんて皮肉なもんだな。

 家の離れに住んでいた俺は、風呂と朝飯夕飯にしか母屋には行かなかった。
 行かずに済んでいたのは日常としては楽だったが、精神的にはきつかった。
 父親と母親とどう関わっていいかわからずに過ごしてしまったからな。
 姉貴は勝手気ままに家を出て、今じゃ2人の息子に振り回されている。
 俺はもっと関わりたかったんだよな、甥っ子たちに。
 何を遠慮してるんだか、俺のことが怖いんだか、姉貴は黙っちゃう。
 話しかけてくれなきゃ。
 分かってないままだった。
 
 俺の本心が全く伝わらないままで、勝手に怖がって、避けようとしているのが
丸わかりなんだよな。
 卑屈になっている感じ。
 姉弟だって、分かり合えるわけないんだよ。
 思いやってくれてるんだろうが、ピント外れ。
 言いたいことがあったら言ってくれたらよかった。
 それでも、入院した時はすぐに来てくれたんだよな。
 ケーキいっぱい持って。
 腹減っていたから全部食べちゃったけれど、よかったのかな?
 困ったときは使えそうで、少しうれしかった。
 

気持ちの整理

 不合格と言っても目的の教師になりための学部には合格しているわけで、
今後の活躍が期待されるわけです。
 大学院に目標だったところにいくのもいいし。
 高1の時に赤点だった英語をここまで上げてきた努力を続けることで、伸びしろがまだまだある現在地から大きく化けることができる。そのために親は進学資金をためる。
 私にできることを今頑張る。
 
 同級生が〇大に合格して、顔を合わせなければならないが、いじけることはない。
 これからが大事。
 これをまず親が自覚して。
 伝染させねば。

 今日、高校から電話。
 卒業生と語る会の話。断ったらしい。
 気持ちは分かるから、何も言わず。
 先生との距離は難しい。

 受験前に国語の教師の指導はほとんどなかった。
 行方が分からず、職員室に行ってもいなかったらしいが、自分のクラスの生徒の指導を優先したでのではないかと、疑う。卑怯だ。
 結局特進クラスを断ったことがこういうことになったのかと思う。

 普通クラスでひとりで頑張った息子と強い意志は評価に値する。

 

2018年3月7日水曜日

残念ながら不合格

 〇大生になりたかっただろう。
 粛々と時間がたっていく。
 何もできないでいる。
 当人はゲームをやってただ時間をやり過ごしているようにみえる。
 前期試験の帰り道、3人に2人は落ちるのだからと言い合ったが、実際は期待もあったし、私は大丈夫と感じていたのだが、甘かった。
 すでに奨学生入試で合格をしていた大学に決めたが、そこが決まってからの2か月が何のためだったのかと言う。
 努力は嘘をつく、でも無駄にはならない・・・か。
 嘘は嫌だなぁ。

 只々切なく、時間は経つが気持ちがついていかない。
 友人が東大の合格発表を待っているらしく、この差に愕然としているらしい。
 地頭の良さが際立つ友人ばかりで、コンプレックスを感じずには居られないのだろうが、親にとっては何よりも大切で、何よりも今の息子が自慢なのだが。
 同じコンプレックスを感じてしまう私が、どんな言葉をかけたらいいのか。
 悶々とし、ふとした瞬間に不憫に思ってしまうこのネガティブな私自身が変わらないと。
 変えていくのは自分自身。
 ビジョンに向かって、行動あるのみ。
 応援するのみ。

2018年3月2日金曜日

卒業 まだ合格待ち

 3月1日、無事にというか当然のこととして、高校卒業した。
 最近は、粛々と子離れ、親離れが進み、なんだか淋しい。
 私自身が子供たちに依存していることを、感じさせられ、自立を妨げていたんだろうと
申し訳なく思う。
 初めてのことが苦手な息子にしてしまった。
 後悔しないように過ごすことが今の座右の銘だから、自分のことは横に置き、言動をしていくべきだろう。
 今朝はお弁当もなく(最終日も忘れた。)どんどん忘れていくのだろう。
 楽しかった時間も。
 この幸せな時間はどんどん変化して、あの頃が一番良かったなんて言うようになって、
じゃあ今は?今もこうして傍にいてくれる時間を大事にしなければ。
 時間を大事にするってどういうこと?
 結局自分がしたいようにしてしまう私自身のエゴが先立ってしまう。
 どうなってほしいとか、こうしたいっていうのは、自分の品性の問題なのかもしれない
 自分がグルメではないことを自覚して行列のできる店とか、評判の店に行かない自分を
許容できた。
 次はどう自分を自覚して変えていくか。

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...