2014年2月28日金曜日

掛け替えのない弟の死30

 グリーフケアについて調べた。
 今の気持ちの整理がつかず、こうして文章にしても一向に前に進めない。

 他人の力を借りてでも、抜け出せないかと思ってしまう。

 昨日母が「節から芽が出ると言われた、いい方向に向かうと。」と、私に言った。
 私は、そんな節なんて要らなかったと思う。
 弟がいなくならなかった方がいいに決まっている。
 弟がいなくなる必要がなぜあったのかと思う。

 もう一度会いたいと思う。
 笑いあいたかった。

2014年2月27日木曜日

掛け替えのない弟の死29

 弟の部屋に入った。
 洗濯物を見つけた。
 母が「他のことで自分で、やればいいと言ったのを洗濯物だと思ったみたいで、それから自分でやっていた、ごめんね和也」と泣く。
 「最後の洗濯物になっちゃった」と泣く。
 胸が詰まる。


 今日は父が好きな写真と言って、引き伸ばしを依頼された写真を届けた。
 目が笑っているいい写真だった。

 だいぶ前の写真だが、今の様子と変わらないと思った。
 けれど、近くで見たのはいつが最後だったのかと思う。

 隣に居ても、じっと見ることはできなかった。
 けれど、声を聴き存在を感じ、この時が幸せだと思えた時間だった。

 もう戻らない。

 

掛け替えのない弟の死28

 弟に貰ったぐいのみ。
 忘れていた。

 弟の部屋にあるいくつかのぐいのみを見て、借りてきた。
 夫にその話をしたら「貰ったものがあるだろう」と言われ、思い出した。
 
 弟は時に突然いいものをくれた。
 お返しはしていなかった。なんて姉だろう。

 亡くなってから後悔したってどうにもならない。
 これから。なんて考えていたのは私の勝手。
 私の勝手が多すぎる、いや、そればかりの姉だ。
 頼ってばかりだった。
 

 今朝、弟と一緒に行動したのはいつだったかと考えた。
 何年か前のおばさんのお葬式だった。
 二人で富士吉田に行った。
 弟の運転で、帰りに花を見に行った。
 「まだ咲いていないけれど、これから咲くな」とボッソッと言った。
 弟は私に紹介してくれたのかと思った。

 ワイワイ話せなかった。
 冗談も言えなかった。
 情けない姉だった。

 かなしい。

2014年2月25日火曜日

掛け替えのない弟の死27

 今日は実家に行かなかった。
 2日行かないのは初めてかもしれない。

 一昨日、私が持っていた弟の部屋の鍵を渡した。
 部屋に入ろうとしない親の代わりに部屋の空気の入れ替えをしながら、部屋に入り弟の生前の姿を思う時間だった。

 その役目を返し、実家に通う口実もなくなった事を感じた。
 
 弟の遺品を親が勝手に処分しないかと不安もあったのは確かだ。
 しかし、所詮は弟のものは親のものだということに気づき、私がどうのこうのと言う権利もないと思う。
 私なりの悲しみはあるが、自分より先に逝ってしまった息子への思いに敵うわけはない。
 

 私はどう自分の懺悔に向き合うべきか解らなくなっている。
 後悔が深すぎて、どうにもならない。

2014年2月24日月曜日

掛け替えのない弟の死26

 やりきれなさが消えない。

 今朝、涙が溢れて止まらなかった。
 なぜか分からない。

 弟の話が出来ていない。
 自分の頭の中で考えているだけだ。

 こうなのか、ああなのか、どうなのか?と自分だけで考えている。

 誰の意見もない、私の私見だけだ。
 だから前に進めないのだろうか?

 涙は流した。
 でも声は押し殺したままだ。

 関わりの薄かった姉が何を言うかといわれそうだ。

2014年2月22日土曜日

掛け替えのない弟の死25

 ツナグを観た。

 「傲慢で自分勝手な考え方かもしれない。だけど、それでも。
 死者が抱えた物語は生きて残されたもののためであってほしい。
 事実がどうであっても・・・。」

 「残された人間は、他人の死を背負う義務がある。」

 「失なわれた人間を自分のために生かすことになっても、日常は流れるのだから仕方がない。」
 「残された人間は我儘になるしかない。それがたとえ悲しくても、図太くても。」

 会いたい人は会ってくれるかわからない。
 

 私はこういう風に考えられるようになるために、考え続けなければならない。
 問い続けなければならない。向き合わなければならない。

 

2014年2月21日金曜日

掛け替えのない弟の死24

 弟の写真を拡大しラミネート。
 実家に持って行ったが、功を急いだと感じた。
 もう少し待って持って行ったほうがよかった。

 弟の名を呼び泣く母の姿は痛い。

 

 友人からのメール。
 「生まれ変わってくる弟に会えるよ」
 どこに生まれてくるだろう。

 弟の見た風景が見たい。
 

 SDカードに残された風景。
 コメントで場所が分かるものもある。

 弟の部屋に残されたアルパインスパッツは、
明後日予定していたピラタスに行く準備だったのだろう。
 行ったことのない所なので私がすぐに行けるところではない。

 みなみの桜はどうだろうか。

 
 

2014年2月19日水曜日

掛け替えのない弟の死23

 月命日。

 1か月が早いのか遅いのかわからない。
 相変わらず母との気持ちの共有はできない。

 実家での毎回の弟の部屋の空気入れ替えも、徐々に部屋のにおいが薄れてきた気がする。

 亡くなった当日に行ったと思われるシャガール展の切符や、部屋に置かれた新品の品物に改めて悔しい気持ちになる。

 ピラタスに行く予定で購入したであろう品物。
 無造作にめくられたままの布団。
 1月19日のページが開かれたままのTVガイド。
 触れられないまま。


 

2014年2月17日月曜日

掛け替えのない弟の死22

 母に頼まれ、弟の写真を拡大した。
 

 母親の悲しみがどんどん胸に迫る。
 大事でないはずがない。

 何もできずにいる母に対して、優しい言葉も掛けられない私は、すでに弟の想いに沿っていない。
 以前「今母親が死んだら、俺は泣く。」と言っていた弟。

 あれからどれ位距離を縮められたかわからないが。

 親子の会話が最後になった母にどう言葉をかけられるか。

 
 「親子の会話がない血筋だと嫁に来た時に言われた。」と開き直った言葉を吐く母に気持ちの抵抗があるのは確かだ。
 けれど、弟にとっても、心残りであろう親子の関わりの淡泊さは私の課題である。

2014年2月13日木曜日

掛け替えのない弟の死21

 21時25分
 毎日アラームが鳴り合掌する。
 弟が亡くなった時間だ。

 久しぶりに本を読み始めたが、アラームで現実に戻り、余計に辛く思えた。
 涙がでた。

 読書に没頭できない。
 現実が重くにしかかる。

 もっと不幸な死もあると慰めてくれる人もいるし、
 息子の死で精神を病んでしまった人もいると話す人もいる。
 

 けれど、私にとっては弟が急にいなくなってしまったという事実があるだけなんだ。

 2歳のころの写真を眺めては、このかわいい弟が私の前から居なくなったさみしい現実に胸がつぶれる感覚に陥る。

 自分の感情に溺れる。

2014年2月12日水曜日

掛け替えのない弟の死20

 あの時間に戻りたいと切実に思い、考える。

 道尾俊介さんの鏡の花を思い出した。
 読んだときはこんな事は思いもしなかった。
 けれど、現実と向き合う今、次元の中にもうひとつの世界があったら、弟と私はうまく関係を結べていたのかもしれない。
 今の次元の失敗を避けてまだ生きているのかもしれない。
 などと、真剣に想像してみたりする。


 想像してみてください。
 ビブリア古書堂の事件簿のセリフではないが、人の気持ちを想像するのは難しく、自分の思いがどうしても入ってしまう。
 思い入れは免れない。


 亡くなってしまった弟と行動を共にする話は、今の私の願いだ。
 

 今日は熱海桜を見に行こうと、昨日HPを見ていた。
 でも、私だけ行くのも。
 などと考えた。

 でも、弟と一緒なら行った。

 弟がやりたかった行動をとれるほどの器量もない私。
 どうすりゃいいんだ。

掛け替えのない弟の死19

 心が駄々をこねている。

 今の気持ちを表現すると、こうなる。

 大声で泣き叫ぶこともできず、すがりつくこともできなかった。


 だからなのか。
 気持ちの切り替えができないのは。


 亡くなってわかるでは辛すぎる。
 人間なんてそんなものなのか。


 悩み苦しむ心の声に返ってくるこだまはない。
 ただ沈黙だけだ。


 掻き毟るような。
 皮を剥ぐような。
 焼けるような。

 胸やけが体中を巡る。
 込み上げる後悔。

 どう気持ちを落ち着けていいのかが分からない。

2014年2月11日火曜日

掛け替えのない弟の死18

 昨日は涙を流す時間があった。

 そのあとの話を聞く中で、死を無駄にしないための行動を考えたといわれた。
 

 毎日弟を思う時間の中で過ごしている。
 過ごす時間の中に弟を探し、出来事を弟にに結び付けている。

 弟が死ななければならなかった理由を探す。
 自分に問題があるかとか、親にあるのかとか。
 弟にあるとは考えたくない。

 先案じは常にある。
 避けられない実情はある。

 自分が避けられるように考えてきた。
 しかし、年齢がそれを突きつけるようになった。
 弟が背負おうとしていた実情をわかっていながら、傍観してきた。
 すべてが私にかかてきた。

 弟が今まで背負ってきた。
 私には、自分勝手に生活してきた反動が返ってきただけ。

 それでも、流した涙で少し気持ちが楽になった。

 

 

2014年2月10日月曜日

掛け替えのない弟の死17

 今日は10日。
 先月は一緒にいた。
 会話はなし。

 それでも視界のなかに弟の姿を確認し、安心する時間だった。

 それが今はいない。

 朝起きて、やっぱり居ないのかとおもう。
 掛け替えのないという言葉の意味が胸を突く。

 

2014年2月9日日曜日

弟の死16

 弟の思い出の中で時間が進んでいる。

 今日は花を買った。

 母に頼まれた。
 今まで花屋に行くことなんてなかった。

 弟の部屋から、本を持ち出そうとしたが、やめた。
 自分勝手な私が頭を出してきた。
 弟のことを考えているふりなのか。
 自分が信じられない。

 弟の車に乗る日々。
 思い出しては涙を流す自分が、信じられない。
 気持ちが動かないのだ。

 どうしたらいいのかも解らないまま。
 どうするべきかなんてもっと解らない。


 なんで死ななければならなかったのか。
 わからない。

 私はどうしたらいいのか。
 わからない。
 

2014年2月8日土曜日

弟の死15

 前へ進めない。


 何も新しいものに興味をもてないし、見る気にならない。
 

 自分がどうしたらわからない。
 

 自分のできるであろう事柄以上のことをする覚悟もないから思い浮かばないのだろうか。

 弟がいたということが薄れていってしまうのが怖い。

 何も残さずに逝ってしまった。

 映画を撮りたいと言っていた。
 

 遺された花や景色の映像を見るたびに切ない気持ちが重なって、形にできなかった弟の無念を考える。
 しょうがないと思っただろうか。
 意識が薄れていく中で、何でと思っただろうか。
 俺死ぬのかと思っただろうか。

 両親の話を聞いていると、専門職の私からは考えられない程、安易に考えていた。

 私は処置室で見た弟の顔で、すでに帰ってこないであろう事実を確信してしまった。



 弟の車に乗る。
 戻ってこない事実が胸にせまる。

2014年2月5日水曜日

弟の死14

 弟へバレンタインチョコを渡したのはいつまでだったろう。
 最近は渡すことも忘れていた。
 薄情な姉だ。

 霊前にチョコを備えた。
 今さらと思う気持ちと、それでもという気持ち。
 自己満足に過ぎず、自分の気休めだけだ。

 離れから歩いてくる弟の姿や、足音がよみがえり切ない。
 涙を流したってかえって来ない。
 それがつらい。

 幼いころの写真を出した。
 かわいい笑顔の弟がいる。
 そうか、もう君はいないのか。

 とてつもなく悲しい。

2014年2月3日月曜日

弟の死13

 携帯の写真をUSBに移す。
 弟の姿は皆後ろ向きだ。

 旅行のスケジュールが記入された紙を見直そうと思う。

 94年からある。
 急いで生きすぎた。
 乗り物の時刻もきっちり書かれている。
 同じルートを回れるくらいだ。

 後姿の弟のスライドレビューに切なくなるばかり。

2014年2月2日日曜日

弟の死12

 昨日弟の車が私名義になった。
 いいのかどうか、未だに不安だ。

 それは両親に対しての私の気持ちだ。


 弟の部屋もあのまま。
 布団も弟がめくったあの日のまま。
 どうしていいかわからない。


 弟が私に託したものは、親に黙っていられず渡した。
 よかったのか。

 混乱の中での行動は判断違いがあったかもしれないと、今さら思う。
 相変わらずの私の行動。

 きっと弟は自分で考えろというだろうなーと考えたり。
 でも、頭の良さでは弟にかなわないコンプレックス。
 分かったふりをしていた私を弟は気づいていただろうな。

 馬鹿さ加減にがっかりする。

 車、大事にするよ。

弟の死11

 母親の体調が悪い。
 血圧が上がったままらしい。
 眠前に安定剤を飲んでも眠れないらしい。

 らしいというのは、聞こえてきたから。
 私が直接聞いたわけではない。

 優しい言葉がかけられない。
 いたわりの気持ちがあらわせない。

 責める言葉しか口にできない。


 息子を突然亡くした母の気持ちが分からないのではなく、この人の気持ちに寄り添えない。

 弟が以前に言っていたが、「母が今なくなったら俺は泣く」という言葉。
 私は母親と息子の関係を複雑な思いで受け取った。

 母親と娘の関係とは違う。

 今日は私の長男が実家に泊まりに行っている。
 長男は人の心の機微に疎いが、大丈夫だろうか。
 私は自分の代わりに長男を差し出しているのかもしれない。
 

 毎日していた弟の朝と夕ごはんの支度が要らなくなった。
 これが一番実感することだろう、弟がいないことを。

 時間は解決してくれるのだろうか・・・。

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...