2020年6月22日月曜日

55歳誕生日6月24日

久々に日記。
誕生日は仕事が休めないので、今日墓参りに行った。

次男を連れていく。

声を掛けたら、行くよと返事が来て、今までこそこそしていたが、変に気を使わなくなれたのはよかった。

切ないだけの日が、次に繋がった日になった。

2018年10月7日日曜日

思慮深くなりたい


 Oさんと久しぶりに話す。
 Oさんのおかげで今の職場に就職できた感謝の気持ちはじかくしている。
 しかし、どちらか一人の勤務なので、一緒になることはなく、顔を合わせるのも久しぶりだ。メールのやり取りはお互いの勤務交代日に合わせて頻回。

 職場や家のこと自分のこと、正直に話しているが、彼女に甘えている自覚がある。
 何とかしてくれる先輩というような。
 私の悪いところは、無意識の甘え。
 自覚があっても、直せない。

 職場でも、何年もいるような感覚になるが、それも彼女のおかげだと忘れてはならないと思う。
 
 若いスタッフの話を彼女から聞いて、私はなんと思慮の足りないオバサンなのだと、改めて思う。
 家庭環境や職場の人間関係において、私は自分の価値観で過ごすところがあるが、
それがある人を傷つけていたかもしれないことにハッとした。
 何も言わない若くして思慮深い子をなんと傷つけていたのかと思う。

 天然のふりをしているつもりだろうが、見ているとイタイおばさん。
 恥ずかしい。

2018年9月15日土曜日

言葉にすることは大事


 悶々としていて、日記帳もない。
 日記帳なんて死語かも。

 4日ぶりに実家に言ったら、なかなか来ないと言われる。
 ムカッとする。

 いちいち反応してしまうのは、後ろめたさがあるから。
 行けるのに行かないから。
 でも、行くことが義務ではない。
 義務と思う自分が嫌だ。

 行きたくないけれど、行ける距離にいる。
 相手を第一に考えるのであれば、毎日でも行く必要がある。
 
 何故こうも、期待されるのかと考えると、弟が亡くなってしばらくは、ほぼ毎日行っていたから、そこがあのひとには基本になっているのかもしれない。

 年寄りは自分の感覚しかわからない。
 
 やっぱり苦痛でしかない。
 親の顔を見て安心するという感覚が私にはない。

 自分の本心は言えないな。
 でも、言葉にして自分で自覚する。

2018年7月8日日曜日

これからのことを考える


 週2で働くように固定されたら、実家に通うのが義務になる。
 さて、朝の動きが慌ただしくなり、やや緊張の日々が続いている。
 1時間早まった始業時間に、通勤に30分となると、結構忙しい。
 息子の出発時間よりも、私のほうが早くなり、まだ引け目を感じてしまうが、
そんなことは考えたら当然のことで、私が管理することではない。
 
 お互いのためにもいい機会になるように、私がしていかなければならない事である。

 自分がこれからの人生をどう生きたいか?

 計画を立てないと、世の中の動きに置いて行かれる。
 早くマスターとメンターを見つけたい。

 新しい職場では、貢献できる人材として認識されるように、早めに動きだそう。

 戦略的に、計画的に、粛々と進めよう。

 期待されるのはこのままの業務だから、自分の中で意味を作り出さなければならない。

 若いやる気のある子を見出して、育てるのもいい。
 経験のある人たちに現場を教えてもらうのもいい。

 0・2%の改善を心がけよう。

2018年7月7日土曜日

真意の読めない人


 ドSキャラの私としては、愛情表現の入った言葉の真意も考えず、「あんなこと言ったら挨拶しに行きにくいよね」と、言うあなた。
 来てほしいと思っていないので。
 来てくれる人は、そういうキャラがわかっている人なので、自分の考えを言わなくてもいいですよ。

 皆が送別会に来てくれるとは思っていないので、『来てくれた人のほとんどは、私が離れたくてたまらなかった上司への忖度である』と思っていますけれど・・・何か?

 1次会でさっさと帰ったのも、上司に忖度することを拒否したいから。

 皆で感傷に浸る気持ちはない。
 心残りもないし・・・。

 私に「今度は理事長できたら?」と、爆弾発言で嫌な上司の感情を逆なでしてくれたあなたに拍手です。
 行くわけないけれど、ケンカを売った姿勢に、掛け声掛けたかったですよ。

 2次会は爆弾発言をしに来てくれたあなたのカンパで、例のごとくタダ酒を飲むことでしょう。そこに私はいたくないだけです。

落ち着いて過ごせるようになった


 送別会も終わり、
 「あー!これで嫌な上司の顔色をうかがう必要のない日々の完全な始まり!」

 

2018年6月27日水曜日

弟の誕生日に


 前日にお墓参りに行った。
 自責の念は消えない。

 私は弟が苦しがった時点で救急車を呼ばなかった親を責める気持ちで自分の行動を振り返ることができなかった。
 けれど、ふと思う時がある。

 一瞬一瞬が場面として脳裏に浮かぶ。
 そして、心臓マッサージをしていた場面が浮かんだ時、「もう少しするか?」との問いに、「もういい」と答える権利が私にあったのかということ。
 頭の中が真っ白だったであろう親は、何も答えられなかった。
 医療者になってしまった。

 処置台から落ちた腕をすぐさま持ち上げて戻した。
 弛緩していたことで、もう戻らないと思ってしまった。
 戻ってほしいという思いがあのときあったら、もう少しマッサージをしていたら・・・
と思うことが未だにある。

 自己満足しかなかった私は、こうして2人分を背負う羽目になっている。

 生きていたら一緒にしたかったことがたくさんある。
 何もできなかったに等しい。
 姉弟の親密感をお互いに感じる時間はほとんどなかった。

 これが私の業なのだと思う。

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...