2015年4月5日日曜日

気持ちがフラッシュバックする

 あの時の判断は独断的だったのかもしれないと、急に思った。
 もうやめてくださいと発した自分の声は、本当に自分の想いだったのかと不安になった。
 母にも父にも意見を求めず、医療者側の考えを代弁してしまったのではないか。
 もう戻ってこないととっさに判断してしまった。

 本当に心電図はフラットだったのか?
 呼吸をしていなかったのか?
 今となっては思い出すことさえできない。

 あきらめるのが早すぎたのではないか?
 でも、医療者側の必死さはもう感じられなかった。
 疲れ切った雰囲気の中で、弟の目はうっすらと開かれているように見え、
 肉体を痛めるのが不憫に思えたのかもしれない。

 それでも、こうして受け入れられず、あきらめきれずに今も
 どうしてと自問している。

2015年2月3日火曜日

晴れない心

 
 こんなに気持ちの切り替えができないでいていいものなんだろうか。
 自分でも、理由を知りたいと考える。
 何かを始めようとしても、あと一歩が踏み出せない。

 実家通いも限界。
 合わない母親のすがりつく雰囲気に、気持ちが冷える。
 なんて冷たい娘なんだろうと気持ちが落ちる。

 この繰り返し。
 越えなければいけない問題なのだろうか。
 そのままにスルーを試みていた自分を感じる。

 自分の思うままにしようとする母。
 その母が年老いてもまだ私は苦しいまま。
 人は変わらないから自分が受け止め方を変えようと思うが、
 私も年を取り凝り固まった考えがそれを邪魔する。

 声を荒げて訴えるが、声に反論し、内容が届かない。
 「そんな言い方するな。」
 の言葉に次の一言は出ない。

 「あんたなんて嫌い。」と言ってしまいたい。
 
 それでも、弟のことを思うと
 やさしい娘を演じなければならないと、自分に言い聞かせる。

 乗り越えられそうにもない現実にどう向き合えばいいのか。
 

2015年1月19日月曜日

とうとう超えてしまった


 1年前のこの時間にはもうこの世には存在していなくなっていた。
 弟の死亡宣告の時間が過ぎた。

今日は命日


 とうとう1年が経った。

 やるせない想いは変わらず、後悔ばかりが頭に浮かぶ。
 昨日の8時までは、「1年前は生きていた」けれど、実質心停止したであろう8時からは
弟の1年前のこの世の姿がなくなった。
 切なくて、苦しかった。

 1年前のこの時間はもう静岡に出発していただろう。
 シャガールの絵画展を観て、雪山に登る装備を購入しに行くのだろう。
 値札のついたままのものが、この世での弟のこれからへの希望が想われて悲しかった。

 突然の死は胸を焦がす。

 弟のいなくなった部屋に入って、突然不在になった日々を過ごした空間に、「どうしてこんなことになったのか」どこに聞いても出ない答えを探す日々が始まった。
 今も続く。

 命日のこの日、私はどう過ごしたらいいのか。
 お墓参りをして、実家に行き、弟を偲ぶ。
 親の前で素直に泣くことができないのは、自分自身の問題だが。
 悲しむ親にやさしい言葉も掛けられない自分は、弟の想いを未だ継げないでいる。


 弟が頼りだった。
 大好きだった。
 かわいかった。

 話のできないまま逝ってしまった。
 弟の培ってきた知識を残してやりたかった。
 

2015年1月12日月曜日

1年たってしまった

 
 まだ弟の話はできない。
 だから、何も変わらず想うだけ。


 写真の前の花を枯らさない事と引き継いだ車を汚したままにしない事だけ。
 私がこの1年続けられたこと。

 

2014年8月4日月曜日

弟が気づかせてくれたこと50

 弟はたくさんのことを教えてくれる。

 けれど、どうしていいのかわからない。
 何もできずにただ過ぎていく時間のなかで、もがいているだけの私。

 生きてる時に。
 生きてる時に。

 できることがたくさんあったのに。
 話すことがたくさんあったのに。

 うっとうしがられたって、関わればよかったんだ。

 なにを怖がっていたのだろう。

 なんで避けてきたのだろう。

 なんでこんなことになったのだろう。

 鎧をまとっていたような人生だった。
 そうさせたのは、家族だ。

 家族の話や、兄弟の話はつらい。

 息子たちに叔父さんがいなくなってしまった。
 なんて大きな損失だろうか。

2014年5月20日火曜日

弟への想い49

 父の弟への想いに胸が詰まった。

 亡くなってから毎日煙草を燻らせ、酒を酌み交わす。
 弟の写真に向かい話しかけていると。

 生前出来なかったことが多い私たち家族の関わり。
 亡くなってからが本来の姿だったら、どんなにいいか。

 胸が詰まり泣きそうになった。

 まだしばらくは弟の姿を想い、生きている如くの生活が続くだろう。
 どうしていいかわからない。
 どう言葉を掛けたらいいのか、どう対峙したらいいのか。

 「明日は来る?」と言われ、連日の実家通いに精神的な辛さを感じていた私は「明日は分からない」と言った。
 父は母に「明日は分からないって。」と伝える。
 自分のなすべきことに詰まっていく。

正欲  朝井リョウ

 >作家生活10周年の著作。  大学生作家・サラリーマン作家と言われていた頃があったなと思う。  『正欲』  読み終わり考える。  読み取りの苦手な私は何が正しいのか?  作者の意図と違う感覚だと恥ずかしいと。  明日、死にたくない人の流れに乗るために思う。  このブログも登場人...